高度四千メートル上空。
離陸してからは順調に高度を上げ、他のチームと同様に敵地に乗り込んでいた。
軍上層部からの特別な指令が無い限り、三人一組で行動し他のチームは干渉しない。チームワークが乱されてしまっては計画が台無しだからだ。だから敵をどれだけ倒すかは各チームの賞賛となり、お互いにライバル視しているチームもある。新一チームは新米だが、エースになれる可能性を秘めている新一と服部は先輩達を刺激させた。

興奮気味に大空を翔る先輩達の戦闘機より後に新一達は飛び立ったので、当然だがその勇姿を見ることは出来ない。出来るのは、敵と対峙して撃ってその結果を持ち帰ることだけ。
敵のレーダーに引っかかっていることはすでに分かっている。問題は敵がいつ襲いに来るかということだった。
新一は一番前に、平次と光彦は少し遅れる状態で並んで飛んでいた。

訓練生のときの授業で、教官が口を酸っぱくして何回も繰り返した言葉が頭の中でリフレインされる。

『一番重要なのは、敵の戦闘機を先に見つけること』

新一達は戦闘機を厚い雲の中で慎重に移動させ、我先に敵を見つけようと視線を凝らした。


「…っ工藤、いたで!敵さんが!」
平次の声に新一と光彦がすかさず反応する。目を凝らすと、新一達の前方斜めに微かに蠢く影が見えた。まだ相手は新一達に気付いていないようだ。
「よし、気付かれないように後をつけるぞ」
「「了解!」」

見つからないように、だが見失わないように距離を取りながら徐々にスピードを上げる。作戦通りにいけば、敵機の斜め後方から新一が奇襲の合図を出し、平次の戦機が敵との間合いを詰めて追い込む。そこで敵が逃げようとする一瞬の隙を狙って光彦が銃弾する算段だ。
上手くいくかどうかは新一のタイミングに掛かっていた。

慎重に平次が敵との距離を縮めると、同じように光彦が動くと彼の確実な射程範囲内に入った。

ここで一気に攻める!

「服部、敵を驚かせっ!」
「その言葉を待っとったで!」

急スピードでノリに乗った平次が敵の戦闘機の後ろに追いつく。
いきなりの襲来に敵は驚き、一目散に急降下して逃げようとした。戦闘機の基本として、飛行士は奇襲の危機の際、真っ先に下に逃げるよう本能が働いているのだ。
そこを突いて、光彦が銃弾を的確に何発も敵機に浴びせた。

シュミレーションと同じ状況だった。
敵機は一筋の煙を上げながら、何も言わず静かに雲の下へ落ちていった。

「やったで!一機撃墜させたで〜っ」
平次はガッツポーズをして嬉しさを表した。光彦も自分の任務を遂行出来たことにホッとしているようだった。
「喜ぶのはまだはえーよ。こっちだっていつ襲撃されるか分かんねぇんだ。気を引き締めて掛からねぇと」

そう言った直後だった。
新一達は後方から銃撃を受けていることに気付いた。相手は待ちきれなかったのか距離はかなり開いているようで、銃弾の方向は定まっていない。無造作に新一達に向かって撃っている。
「まずい、下降するぞっ」
言うが早いが、新一達は急降下し始めた。

油断していたつもりはなかったが、前方の敵に集中していたせいで後方の隙を狙われた。新一はチッとした舌打ちをした。
三機対一機では新一達の方に分があるが、後方から狙われているのでは好期も何も訪れない。一度体制を整えてから敵と真っ向勝負するのがいいだろうと思った。
垂直になって下降する戦闘機。
地上戦ギリギリのところまで行って、敵を待機するつもりだった。





新一が異常に気付いたのは高度五百メートル上空でのこと。エンジントラブルが起こったらしく、胴体の異常振動が伝わり操縦席が大きく上下に揺れた。

「なにっ!?」
エンジンが一基搭載の戦闘機なら故障したり被弾すると墜落してしまうのだが、今回のエンジンは双発だ。エンジンの一基が故障してももう一基が残っているので操縦は可能なはずだが、機体をコントロールできない。ということは、エンジンが両方とも故障している可能性が高い。

操縦不可能のまま灰色の煙を上げながら、機体は下へ下へと落ちていく。

やべーかもしんねぇ…。

このままいくと、機体は海面に一直線だ。
新一は予想外の危機に直面した。


操縦桿をできる限り引いて、出来るだけ海面と水平に着水できるように機体を海面と平行にする。
少しでもスピードを落とさなければならないのに、急激に落下している身体への付加に、頭がボーッとなり意識が持っていかれそうになる。

先ほどから異常に気付いていた平次と光彦も速度と機体のバランスを保ちながら新一の戦機の隣に留まろうとした。
「工藤……!」
「工藤さんっ…!」

くそっ…、何とかならねぇのかよ……!

と、不意に視界の横に見えた薄い雲の先に敵がこちらに向かっている様子が見えた。新一の戦闘機が墜落しそうな状態を知って、チャンスとばかりに討ち入ろうとしているのだ。平次も光彦も新一の状態に気を取られ、敵の動きに気付いていなかった。

新一は何とか機体を真っ直ぐに立て直し、混乱の中で銃弾の矛先を敵の戦闘機の下部に定めた。距離は約三百メートル。いつもの新一の腕なら楽に当たる距離だが、振動の激しいこの機体では狙いを定めるのは難しかった。
「当たれ……っ!」
祈るように、新一は銃弾を発射した。

爆発音と共に閃光が走り、相手の機体が煙を上げて急速に落ちてゆく。
「っし!」
「工藤っ、何やいきなり銃弾を発射したと思たら、敵がおったんかい!?」
「ああ、オメーらの機体の位置からみても撃てれる可能性が早かったのは俺の戦闘機だったからな。……でもあまりお喋りしてる時間はなさそうだ」

敵の攻撃によって時間のロスをしていた。
あと地上まで三百メートル。
これ以上海面に向かって下降したら平次と光彦の戦闘機は軌道修正不可能になる。二人を巻き込むわけにはいかない。
「オメーら、さっさと退避しろっ!」
新一は焦りを含んだ声で怒鳴り散らした。
「アカン、まだ何とかできるはずやっ」
「そうです、工藤さん。自力で脱出すれば何とかなるかもしれません!」
「バーロ!よく聞けっ。俺はオメーらを巻き込むわけにはいかねーんだ!俺は大丈夫だ、何とか脱出する。だから、さっさと機体を立て直しやがれっ!」

二人は怒りに似た新一の命令に即座に行動した。
機体を平行に立て直し、速度を落とし始める。新一の機体だけは操作が利かないため、そのまま二人を残して落下し続けた。

「直ぐに基地に連絡して救助に来てもらうか…らな。ちゃん…と待っとりいや、工藤!死ん……ら、アカンで!」
「工藤さん、無事を祈って…ま…す!」
無線機の調子も悪くなってきたらしい。二人の声が所々途切れる。
「バーロ…死ぬつもりはねーよ」
新一は自嘲にも似た笑みを浮かべた。



今まで死ぬかもしれないと思ったことは一度もなかった。
蘭を残して死ねないという気持ちもあったし、死なないという自信があった。
敵を見つけ、追いかけて、逃げまとう様を冷静に見つめて銃を砲弾する。そして、敵機は何も言わず静かに煙を上げながら地上に落ちる。

逆に追いかけられ、追い詰められそうになったときもある。だがこれまでだと思わず、今まで積み上げてきた経験と知識を駆使し相手の弱点を見抜きそこを突く。敵も天晴だが新一自身冷静な対処の仕方には自信があった。

繰り返される戦闘シーン。
厳しい訓練、厳しい戦闘。
これらに耐えてきたのは全て国を…蘭を守るためであった。

だから……死ぬわけにはいかねーんだっ。


二基搭載エンジンの戦闘機では通常パラシュートは付けられていないので、パラシュートは使えない。となると飛行機から直に飛び降りるか、飛行機に残ったまま着水するか方法は二つある。

何の装備もなく飛び降りると、落下による速度の衝撃で、40メートルからの距離だと人はコンクリートにぶつかったくらいの衝撃を海面から受け、死んでしまう。それ以下でも内臓破壊や骨折の危険性が高いのだ。無事に生還できる可能性は極めて低い。

飛行機ごと着水しようとすると、激しいスピードで落下する機体で何事も無く水平に不時着させることはベテランの飛行士でも極めて難しい。タイミングを見誤れば海面と正面衝突して機体が大破してしまう。その衝動は飛行士に伝わり、運が良ければ意識を失うだけ、運が悪ければ即死する。
もし意識が辛うじてあっても、機体は数分で海に沈んでしまうので、その間に脱出しなければならないのだ。
どちらでも、一歩間違えれば死が待っている。

だが新一の中で答えは一瞬で決まった。
この半年お世話になった自分の愛機。いつも蘭を思って出撃したから、いつも蘭と一緒に戦っていた気がするし、これまで何度も自分を支え助けてくれたのだ。最後まで運命を共にしないわけにはいかないと思った。
後は自分の意識を何としても持たせ、沈み行くだろう機体から脱出すること。

最後まで諦めない。

これは新一のポリシーであり、何があっても最後まで足掻くつもりだ。




コントロールを失った戦機は蛇行を続け、轟音を撒き散らしながら落ちてゆく。機体が揺れるさまは尋常ではなく、シートベルトで固定されているにもかかわらず上下左右に激しく叩きつけられた。
「蘭………!」

死ぬかもしれないとき、人は今までの人生を走馬灯のように思い出すという。
認めたくはないが、その状況に陥っていることに気付いた。
今、思い出すのは蘭の顔ばかりだ。

泣き虫だった小さい頃の泣き顔。
日の落ちるまで鉄棒を練習した時の泥だらけの顔と、成功した後の眩しい笑顔。
想いが通じ合った時の、恥ずかしくもはにかみ綻ぶ顔。
ケンカした時の怒った顔。
夜を共に過ごした時の艶かしい顔。
出兵する新一を見送る時の、悲しみを秘めた笑顔。

新一の人生の中心は…全ては、蘭だった。

新一は激しい振動の中、ボードから写真と手紙を取り出した。
時間はない。けれど、海の中は手紙の文字は消えてしまうだろう。
新一は焦りそうな気持ちを抑えて手紙を開いた。





『新一へ
体の調子はどうですか?ちゃんと食べてる?ちゃんと寝てる?って、いつも同じこと書いてるね。でも聞かずにはいられないんだ。

赤ちゃんの名前、ありがとう。新一らしいよね、コナンって。始めはそりゃないんじゃない?って思ったけど、名前が決まってから何だか愛着が湧いてきました。お腹を撫でるたびにコナンって呼びかけています。
この手紙が届くときにはもう出撃が終わった後なのかな?新一の無事と武運を祈っています。待つことしか出来ないのが、本当に悔しいけど…。
それでは、また次の手紙で。

xxx
                    蘭』





新一は読み終えた手紙を胸ポケットに無造作にしまいこんだ。

最後まで諦めない。
諦めたくはないが。
俺が死んだら、蘭はどうなる?
蘭は…蘭は、この自分勝手に戦場に出て行った男を待ち続けるのか?


「服部!光彦!」
無線に向かって大声で叫んだ。
「なんや、工藤!?何かあ…ったんか!?」
「工…藤さ…ん!?」
相変わらず無線の状態は悪かった。

「蘭に伝言がある。俺にもしものことがあったら、蘭に伝えて欲しいんだ」
「そんな!諦めるんで…すかっ!?」
「……分か…った。はよ…う言えや」

驚いて叫ぶ光彦とは対照的に、平次は新一のどこか切羽詰った物言いに気付いたのか、静かに新一の続きを待った。 途切れ途切れになって聞こえる声。二人とも新一と同じ状況で向こうも聞こえずらいかもしれないが、それでも構わなかった。

「『本当は蘭には俺だけを見続けて欲しい。……けど、それは俺のワガママだから。オメーの笑顔が続くところならどこでも…誰でもいい。子供と一緒に幸せになって欲しい。…愛してる』、と」
「工藤の伝言、しか…と受け取っ…たで。でも俺…は認めー…へん。さっさ…と避難せ…え!」
平次の明るい調子が嬉しかった。
「フッ…分かってるさ」


新一は激しく揺れる機体と激しく響く轟音の中、何度も意識を持っていかれそうになった。操縦桿で何とか水平を保とうとしたが、機体は無慈悲にも言うことを聞いてくれず、このままだと斜めの状態で衝突しそうだ。
海面まで、あと30メートル。…20、10…

「らあああぁぁぁぁん!!」

その瞬間、白い波飛沫が高く上がった。機体は衝撃で右側の主翼が折れ、主に右側が大破していた。前方の窓は全て粉々になり、水面に漂っている。

新一も機体と同じ方向に体ごと右に投げ出された。
操縦桿に頭と右腕を激しく強打し、そこからは赤い鮮血が流れ出した。腕も足もだらりと垂れ下がり、ピクリともしていない。
意識は、なかった。





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