平次は東都の工藤家の玄関前にいた。
これから告げる事実は、蘭にとっては嬉しい事実なのか悲しい事実なのか分からない。それでも、蘭に伝えることがあるから平次はここまで来たのだ。意を決して、門を叩いた。

「はい……えっと…どちら様でしょう?」
玄関から蘭が出てきた。清楚な雰囲気をまとい、愛らしい顔からは笑顔が零れていた。新一が蘭を下世話な噂のネタにされたくない訳が分かる。

蘭は平次の訪問に戸惑っていた。いつもの薄汚れている飛行用の服と違って、平次は濃緑色の正装で同じ深緑の帽子と軍靴を身に着けていた。
服装から軍関係者だということは分かるが、肝心の新一の姿はどこにも見当たらない。平次の顔にも厳しさが見られた。
悪い予感がする。

「あの……」
「工藤の奥さんの蘭さん…ですよね。俺は工藤の同期で一緒の戦闘チームだった服部平次と言います。今日は奥さんに話があって参りました」
「新一に、何か…!」
新一に起こった良からぬ事態を想像して、蘭は顔色を変えた。平次は申し訳なさそうに事実を告げた。
「結論から言うと、工藤は生きとります。でも事故があって、頭を強く打ち付けたらしくて意識が戻らへんのです。今は東都内の軍人専用の病院におります。…奥さん、一緒に来てもらえますか?」
「すぐ、行きます!」
蘭は着の身着のまま、玄関から飛び出した。





***





「工藤から奥さんに伝言があるんです」
「え?」
病院へ向かう車の中。
いつもは新一の部下だが今日限りの運転手だという光彦を紹介してもらい、蘭は車に乗り込んだ。
身重の蘭を気遣って平次は身体が冷えないよう固い座席の下にクッションを置いてくれた。蘭の隣に腰を下ろした平次は、事故のあった出撃の日のことを詳しく蘭に話した。

「工藤のヤツ、戦闘機が海面に激突する直前に無線で伝えてきよってん。あんたに伝えて欲しいことがあるって」
「新一が、私に……」
「アイツ言っとりました。『本当は蘭には俺だけを見続けて欲しい。でもそれは俺のワガママだから。オメーの笑顔が続くところならどこでも、誰でもいい。子供と一緒に幸せになって欲しい。…愛してる』って」


平次は新一の言葉をそのまま蘭に伝えた。
どんな反応をするのか気になって、蘭をちらりと見ると、蘭は顔を上げて瞳に涙を溜めたまま激しく平次に告げた。

「わ…私は、工藤新一の妻ですっ!」

蘭の瞳から涙がすっと一筋流れた。

「ずっと、一生あの人に付いていくって決めたんです!なのに、あのバカっ…一人でカッコつけちゃって…!」

新一のバカ、バカと最後は声を小さくして蘭は独り言のように泣きながら呟き続けた。平次は居たたまれなくなって、静かに泣きじゃくる蘭の肩に手を置いた。
「文句は会ってから言えばいいんや。工藤も姉ちゃんが来たらすぐ意識戻るさかい」
平次は明るくニカッと笑った。丁寧な言葉遣いは慣れていないのだろう。初めて会った時よりかなりフランクになった平次の言葉と蘭を気遣う姿に何だか安心して、蘭は泣いているのに笑顔が自然と零れた。





新一の収容されている、軍人とその関係者だけが入ることを許される病院。
外観はとても殺風景で、白い棟が数個並んでいた。門で身分証明と簡単な質問をやり取りすると、平次と蘭は病院の入り口へ入った。
途中遅れた光彦を加えて、三人は新一のいる部屋へと急いだ。
910室…新一がいる個室部屋の前には、『工藤新一』と書かれたドアのプレートが掲げられていた。

ここに、新一がいる……。

新一と会うのは随分久しぶりだ。
蘭はごくりと唾を飲み込んだ。そっと個室の扉を開ける。

「新一……?」

狭い個室は病院の外観と同じように殺風景で、ベッドと小さい机しか置かれていなかった。
真っ白な空間の中で、白い壁、白い床、白いベッドの中に、新一は静かに横たわっていた。

酷い状態であるということは聞いていた。
機体が右側から海に激突したせいで、体の右側の損傷が酷い。
骨折している右足は天井から引っ張られているロープに支えられ、包帯で分厚く巻かれている。右手と左手も同じように包帯でグルグル巻きにされていた。強く打っている頭にも痛々しく白い包帯が巻かれて、それは右目まで覆われていた。顔色はあまり良くなく、青白い肌が日没前の優しい光に浮かびだした。

想像以上の怪我の重さに、蘭は一瞬言葉を失う。ただ安心できたことは、新一の胸が規則正しく上下に動いているということだけだった。

生きてる………。

衝突後、新一は意識を数十秒失っていたが、ほぼ無意識のまま気力で外へ脱出した。その後は機体の残骸に捕まり何とか海を漂っていたが、頭からの出血により再び徐々に意識を失ったらしい、と後に救助に駆けつけた平次が言った。
墜落した仲間を救助するのはこれまで一度も例がなかったが、平次から連絡を受けた同じ飛行部隊の先輩や同僚が機転を利かせて至急上部を動かしたらしい。

どんな機転を利かせたのかは詳しく教えてもらわなかったけど、新一は軍の中でも信用があり、皆から愛されている。
みんな、新一が好きなんだよ?
ねえ、分かってる?


「工藤、姉ちゃんが来たで!めっちゃ会いとおたかったのに、何のん気に寝とるんや!」
平次が新一の側へどかどかと駆け寄った。
「そ、そうですよ!工藤さん起きて下さい!ほら、工藤さんの奥さんもこっちに来てくださいっ」
光彦は入り口近くで躊躇していた蘭の腕を引っ張って、新一の真横に連れてきた。

「…………」

どうしよう。言葉が…出てこない。

「ほら、服部さん。僕らはもう基地に戻らないと!きょ、今日の船便に間に合いませんよっ」
平次の腕の袖を光彦は数回弱く引っ張った。
「そ…そうやそうや!俺らもう時間がないねん!悪いけど姉ちゃん、工藤のことよろしく頼むわ」
「あ…はいっ。わざわざここに連れてきてくださって、どうもありがとうございます。本当に感謝してます。お急ぎのようですが、お礼をさせて下さい」
「そんなんいらんて〜!ま、俺ら休暇でこっちにきたさかい、当分休みなしやし病院にもこれん。姉ちゃんが手紙で工藤の容態を知らせてもらえると嬉しいんやんど」
「それはもちろん喜んで!」
「服部さん、行きますよっ」
平次と光彦は嵐のように病室から去っていった。



何故かそそくさとなって出て行った二人に不思議に思いながらも、蘭は明るく面白い平次と光彦に沈んだ心が少し軽くなったことに感謝した。
目を閉じたままの新一を見つめる。
新一の左手をそっと持ち上げて、自分の手と重ね合わせた。鼓動は規則正しく脈を打ち、呼吸で上下に動く胸と連動している。

会ったら文句の一つでも言ってやろうと思ったのに。
カッコつけてんじゃないわよって、言おうと思ってたのに。


ポツリ。

涙が新一の手に零れた。

無事で、良かった……。

意識はまだ戻らないけど。怪我も心配でたまらないけど。
でも、生きていてくれただけで。それだけで。

「新一……」

その瞬間、新一の手がピクッと動いた気がした。

「えっ…し、新一!?」

ビックリして少し大きな声で呼びかけると、新一の左目の瞼が動いた。スローモーションだが、確実に新一の瞳が徐々に開いていく。新一は始め天井をボンヤリと眺めていたが、視線を横に向けると蘭を視界に捕らえた。何も言えず新一を泣きながら見つめ続ける蘭に、新一は痛んであまり開くことの出来ない口に力を入れた。

「ら、…ん……」
新一の声は掠れて、酷く聞きづらかった。
「新一……」
「なん…で…」

意識が未だ完全に戻っていない新一の疑問に、蘭は答える。
「新一、事故が起こって脱出する際海面に叩きつけられたの、覚えてる?ここは東都の軍人病院で、私は服部くんから連絡を受けて連れてきてもらったの」
新一は蘭の言葉を理解したのか、少しして小さく頷いた。

「ずっと…夢、見てた……。俺と蘭と、俺達の、子供が……一緒に…幸せに…暮らす、夢」
「夢じゃないわよ。すぐに叶う未来、じゃない」
蘭は片手を新一の手を握ったままにして、もう片方の手を新一の左頬にかざして優しく撫でた。

「バカだって…分かって…る、けど、……死ぬか…もって、思った、瞬間…蘭を、自由にしなきゃ…って…思…」
「バカ…!新一って、バカよ…!」
新たな涙がポロポロと蘭の頬を流れてゆく。蘭はそれを隠す気もなかった。
「…ゴメン」
新一は動かない顔の筋肉を無理やり動かして、申し訳なさそうに薄く笑った。

「新一がいなきゃ、私だって生きていけないんだから。新一がいるから、頑張れるんだから。だから、お願い…、死なないで…!!」
蘭はそう言って両手で顔を隠した。
手紙でも電話でもない。目の前にいる蘭に掛けられた言葉は、何よりも重くて。何よりも新一の心の底に届く。
「らん……泣く…な」
「新一のせいじゃない…バカ…」
「オメー……バカって…何回も、言うな…」
蘭が顔を上げると、新一と目線が重なりお互いにフッと笑い合った。





漸く二人に柔らかな時間が流れ始めた。
「そうだ…。今なら…聞ける…」
何かを思いついたらしく、新一は蘭にあることを聞く事にした。
「『xxx』って…なに…?」
まさかこの場で聞かれると思っていなかった蘭は意外そうに新一を見た。新一の目は本気だ。蘭は新一がこの疑問が解けなくてずっと考え続けていたらしいことが分かって、嬉しくて面白くてたまらなかった。

新一らしいや………。

「本当に知りたい?」
「おう…」
「『xxx』の意味はね………」

蘭は身を起こして唇を新一の耳にそっと近づけた。新一はようやく謎が明かされる瞬間を期待して胸を躍らせた。少し間を開けて、蘭は明るく告げた。
「やっぱ、教えてあげないっ」
「蘭、テメ…!」
肩透かしを食らった新一は一見怒っているようだったけど、目はしょうがねぇな、と優しく語っていた。

こんな幸せな時間が続くなら、秘密はもう少し秘密のままでいいのかもしれない。

蘭は隣の大馬鹿飛行士さんが再び戦に戻るまでの休息の間もう少し内緒にしようと決めて、新一に綺麗な笑顔を見せた。


<了>








第二次世界大戦の実話をちろりと織り交ぜながらも、時代考証を無視しているので色々状況がおかしなことに。
手紙ならまだしも実際の戦渦では新一と蘭の電話はあり得ないのですが、大人の事情ですスイマセン。だって新蘭の会話がないなんて寂しいじゃない…!
戦闘場面でもあり得ない状況大爆発で捏造もいいとこです。サラッと流していただければ。
目覚めシーンはベタだけど、新蘭にはベタが似合う!と思うのです。
[2009.2.25]
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