2

新一が教室に入ると、いつものメンバーが新一の机の周りで喋っていた。
「オメーら、何でいつも俺の机んとこでだべってんだよ。邪魔だっつーの」
肩にかけていたカバンを荒々しく机の上に投げかけると、歩美が一歩後ずさりした。新一の席の前に座っている灰原は足を組んだまま微動だにしない。いつも以上にむすっとして機嫌が悪そうな新一に、元太がすかさず文句を入れた。
「なんだよー、いいじゃねーか。新一の席は一番後ろでみんな集まりやすいんだよ」
「そうですよ!隣は歩美ちゃんですし、前は灰原さんで自然とここになってしまうんです。まったく、羨しいといったらこの上ないですよ!」
最後は嫉妬を含ませて、光彦は新一に羨しげな視線を投げかけた。歩美と哀の両方とも気になっている光彦にとっては最高の席なんだろうな、と新一は思った。

新一にとっては席替えなんて担任の気まぐれで行われる月に一度の定例行事でしかないし、むしろ自分で机と椅子を移動させなければならないので面倒くさい部類に入ることの一つだ。
何人かは気になる子と隣の席になりたい、窓側の席になりたい、何でもいいから女子が隣にいて欲しい、なんていうのもいてさまざまである。

新一のクラスである3−Bは理系クラスで、一年生のときに進路希望を出して文系か理系かに分かれる。二年生のクラスは引き続き三年生になっても同じなので、顔ぶれは変わらない。学年が上がる際には理系から文系に変えることも、またその逆も可能であるが、少数である。

理系クラスで女子が少ない為、隣の席に女子を望む気持ちは分からないでもないが、隣に誰が座ろうがどこの席になろうが気にしたことはないし、席替えに一喜一憂する奴の気がしれない。
元太は毎回一喜一憂している側なのだが、新一が歩美と隣の席だと知った時は何回もなじられた。小学生の頃から元太は歩美に惚れているのだ。新一からしてみれば理不尽この上ない。


新一は席に着き、カバンの中から筆箱を取り出し机の上に置いた。
「おはよう、新一くん!」
隣の席に座っている歩美が明るい笑顔で声を掛けた。
「ああ…はよ」
まだ昨夜の徹夜が響いているようだ。眠いという意識はないのだが、返事をしたと同時につい欠伸が出てしまった。一限目が数学なら多少は目が覚めてやる気が出るというものだが、あいにく今日は英語だ。全くやる気が出ない。
新一は二度目の欠伸を隠すように口に手を当てた。

新一の眠そうな様子を見て、クスッと歩美が笑った。
「眠いの?もしかして徹夜した?」
「ああ…ちょっとな」
新一は苦笑いをした。
「徹夜はいけませんよ。集中力がなくなりますし、睡眠のリズムに支障が出ますから」
「徹夜なんてスゲーな新一。俺なんてテスト週間でも徹夜したことねーぞ。夜中お腹減らねーか?」
徹夜の障害を語る光彦を他所に、元太は素直に驚嘆の意を表した。
「あんま意識したことはねーな。気付いたら朝ってことが多いし」
推理小説を読んで徹夜するなんてことは新一にとってはよくあることで、今日みたいに眠くなることの方が珍しいくらいだ。眠いのは、最近夜眠れないからであって、新一は眠れない原因が自分で分かっていた。


予鈴のチャイムが鳴ると、元太と光彦は各々の席に戻っていった。
元太は一番前の真ん中、しかも体が大きくて目立つので授業中に教師がよく絡むので、最悪の席だといつも嘆いている。一方光彦は廊下側の三列目なのだが、周りは全て男に囲まれている。こちらも元太と同じく、嘆いている。

担任が教室に入ってきて、朝の連絡事項を伝えている。進路希望の紙の提出期限のことを言っているが、新一はあまり耳を傾けずぼんやりとしていた。

「だらしない顔してるわね。徹夜で何をしていたのかしら?」
顔だけ新一の方を向いて、哀は面白そうに新一を見た。徹夜の話をしていたときは一人沈黙を守っていたのに、何故今になってという疑問が新一の頭に浮かぶ。
「はぁ?何って、本読んでただけだぜ」
「……そうなの?つまらない男ね」
哀は眉を顰めたあとプイッと正面を向いてしまった。
愛想の欠片もない哀に新一はこっちこそ眉を顰めたい気分だった。

唐突に意味の分からない…というか意味深に新一の様子を伺ってくる哀を、新一はライバルと位置づけていた。


工藤家の隣に住む灰原哀は新一が小学三年生の終わり時に阿笠博士という科学者の家にやって来た。その頃新一と蘭は兄妹になったばかりだったが、すぐに仲良くなり毎日一緒に遊んでいた。

新一と同じ年だし哀とも仲良くしてやってくれと博士に言われたので遊びに誘ったりしたのだが、哀は部屋から出ようともしない。新一は蘭と遊びたくて早々に説得を投げ出したが蘭は毎日のように哀の部屋へ通った。驚くべきことに、始めは表情のなかった哀は次第に蘭に心を開くようになっていった。

間もなくして哀と蘭は新一を差し置いてまるで本物の姉妹のように仲良くなった。蘭としては兄と姉が一度に出来たみたいでとても喜んでいたようだが、新一からすれば新しく出来たカワイイ妹が取られて全く面白くなかった。
以前と相変わらず蘭との登下校は一緒だったが、蘭だけではなく他の男子とも遊ぶようになったのはそれからである。

ある事件が起こったのは、蘭と少しの距離が出来始めた頃であった。
絶望と後悔、怒りと持っていきようのない燻り。
それを切っ掛けに新一は蘭を一生掛けて護りたいと思った。
幼い恋心から愛に変わる瞬間。
あの事件は新一の胸に深く刻まれ、色褪せることはない。

その後、小学校五年生の時に元太や光彦や歩美と同じクラスになり、何故か途中から歩美が引き連れて来た哀と五人でつるむようになった。
だが互いにいい印象は持っていないので、必要以上に話をしたことはない。
今のようにポツリと皮肉っぽいことを言われることは多々あるが。


「んだよ、言いたいことがあんだったらハッキリ言えよ」
うんざりとした調子で新一が言った。
今度は少し首を動かして顔を新一に向けた哀は薄い笑みを浮かべた。
「言いたいことはいっぱいあるわよ。でも言えないこともあるのよ」
意味深な言葉を言い放った哀に、新一はこれ以上追求するのは二度としないでおこうと心に誓った。










2

担任を持たないベルモットの朝はゆっくりしている。毎朝欠かさず飲んでいるコーヒーを最後まで飲み干すと、一限目の始まるチャイムを待って職員室から授業のある教室へ向かった。
「Good morning, everyone!」
「いよっ、ベル先生!おはようございまーす。今日もキレイっすね!」
「そんなお世辞言っても、課題は減らさないわよ?」

お色気たっぷりにウィンクした英語教師は春から帝丹高校に入ったばかりだった。 授業は分かりやすくて、ハッキリと意見を言って面白いと、ベルモットは直ぐに学校の人気者になった。
生徒との距離が近く相談しやすいとあって、放課後には女子生徒に囲まれる。セクシー系ミステリアスな女性外国人教師という肩書きに惹かれるらしく、相談事も特にないのにベルモットに群がる男子学生もときどき見られた。

男女共にウケのいい人気教師は同僚や生徒からの情報で、学校の裏情報に長けていた。裏情報といっても誰が誰を好きであるとか、教師と生徒が付き合っているとかの学校を揺るがすスキャンダルにもならない恋愛情報が多い。
よく生徒とファミレスに行って交流を深めたり同僚と仕事帰りに飲みに行くのだが、日本独特なそれらの習慣にも慣れて情報収集を楽しんでいる。

元来ベルモットは好奇心が強く、人間関係の繋がりや噂話を知るのが大好きだ。人の秘密ほど―――それが隠したい事である程、蜜は甘いのだ。

先週末、ベルモットは校医としてここ帝丹高校で非常勤勤務している同僚の新出と飲みに行き、とある情報を耳にした。
何気ない内容だったが、それは強く印象に残った。




ベルモットは教壇に立って教室全体を見渡した。午後の授業となると机に突っ伏して寝ている生徒もいるのだが、さすがに一限目なので居眠りしている人はいない。
いや、最後尾に眠そうに窓の外を見ている生徒が一人。眠気を紛らわす為か、シャーペンを手に取り器用にクルクルと回している。
噂の彼、である。


工藤新一。
端整なルックスと抜群の運動能力、頭脳明晰で全国でもトップクラスの成績を誇り帝丹高校でも屈指の有名人だ。おまけに両親も有名人だという。
女子生徒から絶大な人気を誇り、支持を受けている。

有名作家の息子がベルモットの生徒であることは女子生徒から聞いて知っていたが、今まで大して興味は持っていなかった。顔が良いといってもベルモットにとっては唯の年下のお子様だし、工藤優作の本は何冊か読んだが熱烈なファンというわけではないからだ。外国で暮らしたことがないのに英語が堪能で凄いわね、と思ったくらいだ。
だが、先日の新出から気になる話を聞いてから新一…というか、工藤兄妹に興味を持った。
親は再婚同士であること。
一つ下の学年に義理の蘭という妹がいること。
兄妹はとても仲が良く、登下校も一緒であること。
そして―――




「蘭くんから、この間ちょっと相談を受けたんですよ」
「へぇ……」
ベルモットが新出と居酒屋で食事をしていたときのこと。
店に入ってカウンターに座り、お互いの近況や仕事の愚痴など当たり障りのない会話を楽しむ。平日の夜だったが客はそれなりに多く賑やかであった。
まろやかな日本酒の味わいが喉をスッと通った。いつもはワイン派だが、居酒屋に来ると日本酒を飲むのが好きでいつも頼んでしまう。

ベルモットに合わせたのか、あまり酒は得意じゃないという新出も同じ日本酒を頼んでいた。酒に強くないという言葉通り、新出の顔はみるみる内に赤くなり、時間が経つにつれて饒舌になっていった。
「相談って、どんな?」
グラスから溢れ枡に入っていた酒を、ベルモットは何気なく一飲みした。
「何でも、お兄さんの新一君のことだったんですがね…」
新出は酒の力で口が滑ったようだがすぐハッとして我に返り、保健師の守秘義務でこれ以上は言うことは出来ないと言って、肝心な所はやんわりとはぐらかしてしまった。本当に失態だったようで傍目にも落ち込んでいるのが分かる。

それが却ってベルモットの好奇心を刺激した。面白そうな事件を嗅ぎ取ることには長けていると自負している。新出の口調と様子から、それが単純な相談事とは思えなかった。



「ベル先生!」
「えっ、な、何かしら?」
光彦から声を掛けられたベルモットは慌てて今授業中であることを思い出した。気になることがあるとそれに集中してしまうのは悪い癖だ。
「どうされたんですか?今日はこの前の続きの82ページからですけど」
「そうだったわね…。5行目から読んでもらおうかしら。じゃあ、眠そうな顔をしてる一番後ろの工藤君、読んでくれる?」
「…はい」

新一は静かに起立すると、滑らかな調子で英文を朗読し始めた。発音の良い新一の英語は評判で、少し雑談の聞こえていた教室が一気に静かになる。皆英語を聞き取ることと教科書の文章を追うことに必死なのだ。

新一のお陰かどうかは分からないが、このクラスの英語の平均点は他のクラスよりもいつも高い。本人は意識してないのだろうが、新一は目立つタイプで、誰からも一目置かれる存在のようだ。

(人気者の工藤新一の妹、ね)

どうやら新一と義理の妹には何かがありそうだ。
赤い口紅を引いた形の良い唇の口角を上げながら、ベルモットは新一の朗読に合わせて教科書のページを一枚捲った。





<< BACK      >> NEXT


inserted by FC2 system