人は、ひょんなことから禁忌を犯してしまう。
人は、触れてはいけないのに手を伸ばさずにはいられない。
人は、惹かれてはいけないと思うとそれに引き込まれてしまう。
境界線を越えれば、人はあっけなく一歩を踏み出すのだ。
それはまるでアダムとイブが手にした、禁断のリンゴのように。



雪月花




side 快斗

「こんばんは、お嬢さん」

快斗は仕事帰りの後、毛利探偵事務所の屋上に降り立った。コナンが外泊しているのを他所に、蘭が自分を迎えてくれることに喜びを感じる。

「こんばんはっていうのは遅いよ?まだ暗いけど、もう朝の6時だよ。今日は遅かったけど仕事で失敗でもしたの?」
蘭がからかう様に聞いてきた。
快斗は白い衣装から普段着へ一瞬で変わると、蘭の隣へ立つ。

「ひどいなー。これでも徹夜で下調べをして来たのに。でかいヤマが近いうちにやって来るもんでね…最近忙しいんだ」
「ごめんごめん!……って、快斗君そんな薄い格好じゃ風邪ひいちゃうよ?今から下に行ってあったかいココア作ってくるから、ちょっと待ってて?」
「え?…ら、蘭ちゃ…いいって………て、もういねーし」
快斗の返事を待たずに蘭は自宅の方へ降りて行ってしまっていた。

快斗と蘭が秘密に会うようになったのは最近のこと。
経緯は世紀の怪盗キッドには情けないのだが、蘭に捕まってしまったのだ。




事の始まりはキッドとコナンが臨時の同士となったことだった。
快斗は父を殺したかもしれない謎の組織を調べる内に、新一が追っている黒の組織との繋がりがあることが分かった。
泥棒と探偵という相反する仕事をしている間柄とは言え、お互いに追っている敵が関わり合っているとあっては、快斗は黙っていられないタチだった。

一ヶ月前、コナンに暗号付きの招待状を渡し、呼び出してキッドの姿で対峙した。
コナンは一人呼び出されてかなり警戒していたようだったが、キッドは警戒心を解くために、これまで集めた資料とキッドになった経緯、そして自分なりの組織についての推測を偽りなく全て伝えた。それと共に、一時共同戦線を張って協力し合うのはどうかとコナンに提案をした。

コナンはそれらを全て無言で静かに聞きながら、机の上に置かれた膨大な資料に目を通した。話が終わると、何か質問は?という顔をしたキッドに向かう。

「オメーが追ってる組織と、俺が追ってる組織が繋がってるのは分かった。どうやらオメーの言う通り、共同戦線を張ったほうが良さそうだ」
「ああ。いくら何でも、俺一人じゃあ組織をぶっ潰せそうにないんでね。警察やFBIとのネットワークがある名探偵なら上手いことやってくれそうだと思ってさ」
快斗は白い靴をカツカツと音をさせてコナンの前をゆっくりと歩いた。

「………事情は分かったが、それでもオメーの今までやったことは犯罪だ。このヤマが終わったら、俺はお前を捕まえるからな」
「……出来るものなら、いつでもどうぞ?まぁ俺はキッドになる必要はもうないだろうから、名探偵に捕まえられるかどうかは分からないけどな?」
茶目っ気たっぷりにキッドが笑顔を返すと、コナンは眉を吊り上げて嫌そうな顔をした。




その後、キッドは組織の情報をより引き出すために以前よりも宝石盗みを頻繁に行った。怪盗キッドの活動が活発になってきたのに組織はキッドがビッグジュエルへの真相へ近づいてきたと勘違いしたのか、形振り構わずに姿を現すようになっている。

コナンの方といえば、工藤新一の名で警察を秘密裏に警察から情報を掴み、江戸川コナンの信頼を元にFBIから情報を流してもらっていた。天敵とはいえ、その手腕には快斗も舌を巻いた。

キッドの活動と同時に、コナンの現場へ来る回数も増えていった。当然、保護者の役目をしている蘭もコナンのお目付け役として来ていた。
蘭に捕まったのはそんなときであった。



いつものように宝石を盗ったあと、ビルの屋上まで警察を引き連れて大勢の前で煙幕を投げた。ダミーのハンググライダー付き怪盗キッド人形をビルから放り投げると、すぐさま警官の姿に変装する。
「か、怪盗キッドが空へ逃げたぞー!」
煙幕が晴れて警察が偽の怪盗キッドを発見した。その声で、警察は一斉に階下へ降りて行く。快斗もそれに続こうとしたら、いきなり腕を引っ張られた。

「あの!怪盗キッド…ですよね?」

――――――それは、名探偵の愛して止まない毛利蘭であった。




まさか蘭がこの場所に紛れていたなんて思ってもいなかった。快斗は警官には変装したが、顔は深く帽子を被ればいいと思い変えなかったのだ。

以前蘭とは北海道の飛行機事故の際、救急隊員に変装したときに素顔で会っている。蘭はその時のことを覚えていたのだろう。
あの時は短い会話しかしなかったが、この警官で溢れる動乱の中快斗の顔を見分けたのはさすが探偵の娘であると言える。

蘭に変装したブラックスターの時以降彼女に興味を持っていることは事実だが、鋭い感覚の持ち主であることに改めて興味を引かれた。
「僕が怪盗キッドだったら、あなたはどうされるんです?」

否定の言葉を想像していたのだろう、袖を離さないようにギュっと摘んだまま、蘭は目をパチクリさせてキッドを見た。
「え…っと、……あの…ちょっと聞きたいことがあって」
真っ直ぐな瞳からは真剣さが見えた。その必死な様子がどうも気になった。
「何でしょう?」
「あの……コナン君、ご存知ですよね?…ここずっと、あなたの事件に興味があるからって毎回来てて…」
「あの小さな眼鏡の子でしょう?いつもあなたにちょろちょろ付いて回ってる。…今日は側にいませんね」

今日は快斗が追っている組織の行動に留意していたはずだが動きが見られず、逆にコナン側の組織について偶然にも手がかりを見つけることが出来たので、小さな探偵はそれを今追っているはずだ。

屋上は既に快斗と蘭以外は誰もいなく、ビル屋上には吹きっ晒しの強い風が吹き付けていた。
「……さっきまで一緒にいたんだけど、少し目を放した隙にどこかに行っちゃったみたい…。それで、あなたに聞きたいことっていうのは………コナン君と怪盗キッドは、どういう関係なの?」

直球で来た問いは、快斗を黙らせるのに十分だった。
「……………」
「最近コナン君は博士の家ばっかり行ってるし、あなたは頻繁に活動してるし、前は興味なさそうだったのに今は毎回あなたの犯行予告場所へ行ってるし……」
「単なる偶然だろ?」
「ううん。そうじゃないんでしょ?何か、理由があるんでしょう?」
快斗に詰め寄る蘭に、必死さと不安が入り混じっているのが分かる。

「……言いたくない?それとも…言えない?」
「あ…いや、そうじゃないけど……」
快斗と名探偵は近い内に決戦を向かえるのだが、快斗から蘭にそれを告げる事は出来ない。例え快斗とコナンが普段は敵同士でも、やはりコナンの秘密を喋るわけにはいかないのだ。ましてや蘭はコナンが一番大事にしている女性だ。

「…ごめんなさい、変なこと聞いて」
答えようとしない快斗に、蘭が区切りをつけようとした。
「いや……期待に添えれなくてごめん」
「いいの。…ね、あなたの名前は?」
「え…?」
笑顔になった蘭は明るく快斗に聞いた。
「私は毛利蘭、です。…あなたのお名前は?」
「俺は……黒羽快斗」

怪盗キッドの姿にもかかわらず、蘭から零れる素直で直球な言葉に、快斗はつい本名を名乗ってしまった。
「よろしくね、黒羽くん」
蘭はより笑みを深めて、挨拶の手を差し伸べた。




それから快斗は蘭に何も告げられない侘びに、コナンが組織のことで阿笠博士の家に泊まり込みしている夜は必ず蘭の元を訪れていた。
これはコナンにも内緒の逢瀬である。

始めは蘭に対する罪悪感で始めたことだが、蘭の方もあれ以来コナンについてなにも言ってこず、ただ修学旅行気分で夜通しお互いの学校のことや生活のことを話し合った。



蘭が湯気の立つココアが入ったマグカップを両手に持って屋上に戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「お、サンキュ」
お互い甘党なことも発覚して、ココアを啜ると快斗好みの砂糖の甘さが口一杯に広がった。一月下旬の朝の寒さは徹夜の体には堪える。
「はぁ〜あったまる〜!」
「ねえ…快斗くん。さっき言ってた、でかいヤマって?」
「んー…言える事は、あともうちょっとで怪盗キッドも卒業出来る…かもしれない」
「それって……コナン君も関わってる…よね…?」
遠慮がちに蘭がおずおずと快斗と見ると、視線が合わさった。

「…蘭ちゃん……」
「……あ、やっぱりいいの!今のナシ!自分で聞かないって言い聞かせたのにっ…ホントごめんね」
蘭は明るく笑顔だった。無邪気なほどに。

「こっちこそ…ごめん。何も言えない癖に、こうやって蘭ちゃんの所に来て蘭ちゃんを元気付けようだなんておこがましいよな。…でも、あのメガネの坊主のことは、信じてあげて」
「うん…分かってる…。……秘密って、多かれ少なかれ誰にでもあるものよ?無い人の方が少ないって思うし。でも、秘密がその人にとって何よりも重たいもので、もし誰かに知られても…絶対に知られたくないのなら―――」

先ほどの明るい顔から一転、切なげな微笑みを浮かべる。

「―――わたしは見ない振りをするの」

快斗を見ているようで見ていない。
蘭は快斗ではなく、コナンを……新一を見ている。

―――それも知っていたのか。

快斗は苦渋を潰したような顔をする。
コナンが新一であるということを知っているのは少数だ。新一の両親、西の高校生探偵服部平次、隣に住む阿笠博士と灰原哀、それに怪盗キッド。

蘭が何も知らされないまま、自分だけ除け者になっていると思っていたら…?
自分だけ新一の力になれないことに悔しさを感じているのだとしたら?

直接蘭と話して分かった蘭の性格と以前蘭に変装したときにインプットした蘭の性格は未だに頭の中に納まっている。この小さい体の中に、どれほどの思いを抱えているのだろう。
そう思うと、やり切れなかった。

「無理しなくて…いいんだぜ?」
そう言って、優しく蘭の腰を抱き寄せて後頭部を手のひらで包む。
「きゃ…っ」
寒空の下、秘密を暴かれた男が秘密を暴いた女を抱きしめた。

「本当は、知りたいんだろ?隠されてるのが、辛いんだろ?」

初めは驚いて少し警戒していた蘭も徐々に身体の緊張が解けてゆき、快斗の胸に顔を埋めた。
瞳を閉じた蘭の瞳からは、静かに涙が零れ一筋頬を伝った。
声を出したら想いが溢れ出してしまうようで、頑なに口を震わせている。

これは工藤新一が想いを寄せる女。
これは工藤新一に想いを寄せる女。

頭の中ではちゃんと認めてる。

なのに、この腕を放したくない。泣き顔なんて見たくない。もっと強く抱きしめて、この腕に閉じ込めてしまいたい。瞳を開けて、笑顔で快斗を見て欲しい。

分かってる。
蘭に惹かれていることなんて。
分かってる。
この想いが報われることなんてないことは。


「ごめんね……今だけ…だから…。また次から…いつもの自分に戻るから」
蘭は快斗の服をぎゅっと握った。
「いつでも…歓迎なんだけどな。偶に吐き出さないと、辛いぜ?」

薄暗い雲から太陽が昇りだし、空が橙色に染まりだす。
世界が目覚める瞬間であるにも関わらず、未だ薄っすらと居座り続ける薄い月と自分の存在が重なる。

朝になると見えなくなるのに、その存在を知って欲しくて……誰かに気付いて欲しくて、最後の最後まで足掻き続ける月―――残月。

蘭が気付いてくれた。
自分の存在に。
でもそれだけじゃ、満足できなかった。

月から見た花はとても生命力に溢れていて、綺麗な大輪を咲かせ人々に笑顔を与えている。
誰もがその美しさに目を見張る。
月は手を伸ばしてみたかった。
始めは興味本位だったのかもしれない。罪悪感だったのかもしれない。
でも花は見かけだけの可愛いものではなく、水を欲していた。
触れてみたら、次は手に入れたくなった。
月は花を独り占めしたいと思ってしまった。
誰にも邪魔されないように、大切にいつまでも守っていくからと。



人間というのは何故こんなにも欲深いのだろうか。


―――――ああ。
夜が、明ける。









Ran



快斗がまさに絶賛横恋慕展開中となってしまいました。
新一がコナンとして戦っている中で感情が先走って、蘭ちゃんのテリトリーに入ろうとするこの卑怯さ。どうしようこの子…!
でもまあ最終的に快斗の思いが成就することはこの話の中では無いのでまあいっか☆と必殺開き直りで見なかったフリをすることにします。

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