戦場のメッセージ





薄暗い倉庫の片隅で新一は一人戦闘機の操縦席に乗って日課である航空日誌をつけていた。後は最後に軽い機内の掃除が終われば、今日の任務は終わりだ。
中堅の飛行士といえども、戦闘機の機能を預かる整備士の任務以外に自分の相棒の整頓をしたり状態を把握しておくのは重要な仕事の一つである。

他の仲間はすでに仕事を終えて寝床に帰っていた。寝床と言ってもプレハブの質素な建物であり、一部屋数人で相部屋となっているのだが。
それでもこの様な戦争の時代に布団で横になって眠れることには感謝しなくてはならない。
度重なる飛行訓練で黒く薄汚れた服の袖にも構わず、新一はその袖で額を拭った。



「よぉ、工藤!」
新一を呼ぶ声が背後から鳴り響いた。振り向くと、いつも新一に対し気軽に接してくる同期の平次がいた。
「服部……何だよ、こんな夜遅く」
新一は右手に持っていた掃除用の布切れを座席に置き戦闘機から出た。平次は寝着を着たまま両腕を組んで、新一を眺めてにやにやしていた。

「何やはないやろー。こうやって新婚ホヤホヤ新婦からの電話を知らせに来てやったんやで」
「!…蘭からか!?」
「そういうこっちゃ。お暑いこって…って、聞いてあらへんがな」
平次の返事を最後まで聞かぬまま、新一は一目散に倉庫から走り出していった。






「もしもし」
「あ、新一?」
鈴がコロコロと転がるような心地のいい蘭の声。この声を聞くだけで新一の心は癒された。
蘭のいる東都と新一の滞在する小さな南国の島は距離も遠く、船で8時間はかかる。
遠慮がちな蘭は軍部の宿舎に電話をする頻度は十日に一度と決めていて、もっぱらやり取りは数日置きに交わされる手紙であった。

「何かあったのか?夜遅くに電話掛けてくるのも珍しいんじゃねーか?」
電話からは、蘭のクスクスと笑う声が小さく聞こえてきた。
「ううん、別に大した用はないんだけど。ちょっと声が聞きたくなっちゃって……。ごめんねこんな時間に」
「いや、遠慮することねーよ。それより…オメー昨日届いたあの手紙は何だよっ。手紙の最後にあった『xxx』っつー記号は!何かの暗号か!?」

蘭から届いた先日の手紙には、いつもの様に新一の体を心配している様子と蘭の日常が書かれていた。そして、最後の行に謎の記号が残されていたのだ。アルファベットのxが3つ…英単語でもないし、何かの暗号としか考えられなかった。
この問題には随分悩まされ、消灯以降ゆっくりと考えられるベッドの上で朝方近くまで考えたが、結局何を意味するのか分からなかった。


電話の向こうから再び笑いが漏れてきた。
「ふふっ…新一でも分からなかったんだ。これはね、ちょっと前に有紀子さんから教えてもらったの」
「母さんからぁ?」
「そう!『新ちゃんはきっと知らないはずだから、手紙にでも書いて新ちゃんを悩ませてみれば〜?』って仰ってたけど」
あの親は……。
きっと夜通し考えていることも、人に教えてもらうことが癪で誰かを頼ることをしないこともしない息子をお見通しなのだろう。
新一はハハ…と乾いた声を漏らした。
だが外交官として何とか戦況を変えようと世界中を飛び回っている両親が東都で一人工藤家に残っている蘭を気遣って頻繁に手紙のやり取りをしているのは、遠く離れた島にいる新一にとってはとても有難かった。


「新一、聞いてる?」
「ああ、悪ぃ。で、その『xxx』の意味、教えてくれんだろ?」
ようやく答えが聞けるか……今夜はぐっすりと眠れそうだと新一はホッとした。
「教えないよ〜v」
「おいコラ」
「こっちに戻ってきたら教えてあげる。いつになるか分かんないけど……ずっと待ってるから。生きて、戻ってこないと承知しないからね!」
「バーロ…当たりめぇだろ?勝って、生きてオメーの元に帰るって約束したじゃねえか」
「うん……」


不意に消灯の時間を告げるための電灯の明かりが最低限に落とされた。時刻は10時を回ったようだ。あと10分もすれば明かりは完全に消されるようになっている。直ぐに宿舎に戻らなくてはならない。
「…消灯の時間だ。蘭もあんまり夜更かしすんなよ」
「分かってるわよっ。じゃあ、また電話するね。おやすみなさい」
「おやすみ」
名残惜しくも電話を切り、新一は薄暗い明かりの中、倉庫へ戻っていった。





***





明るく気丈に振るまう蘭を思うと、どうしようもなく会いたくなる。
抱きしめたくなる。
一年前、結婚してまだ二ヶ月も経たない内に新一は軍に入隊することとなった。飛行士として戦いに出ることが決まり離島に派遣された時にでさえ、蘭は一度も泣き言を言わず新一を支え励まし続けてきた。

『英雄になんてならなくていいから、無理しないで。生きて帰ってきて』

新一が出兵する朝、涙を溜めながら必死に泣かんとしているときに放たれた蘭の言葉。これがいつしか新一と蘭の夢となっていた。

華族の特権で出兵を免れることも出来た。
だがこの国が存亡を賭けて戦っているとき、周りの友人達が出兵の要請を受けたとき……そして生きて帰ってこなかったとき、新一はどうにもならないやるせなさを感じた。自分だけ安全な鳥の籠の中にいることに耐えられなかった。
蘭のことがなければ、すぐに戦場に駆け出していただろう。しかし自分が戦場に行くとなれば、死ぬことだってある。

幼馴染で小さい頃から一緒にいた蘭はずっと守りたい大切な人で、一番悲しませたくない人だった。蘭を置いてまで戦場へ赴くことが果たして自分のしたいことなのか、分からなくなっていた。

そんな葛藤の中、背中を押してくれたのが蘭だった。
「私は大丈夫だから。新一の思うように生きて。後悔、したくないんでしょ?」
「蘭……でも俺はオメーを…」
「私がそんなに弱くないこと、新一だって知ってるでしょ?」

綺麗な笑顔を見せた蘭に新一は何も言えなかった。
ただその笑顔が、新一の脳に焼き付いて離れなかった。





>>NEXT

inserted by FC2 system