Tropical Day




5月らしい爽やかな風が晴れ渡った青い空を駆け抜けた。新緑の透き通るような色は風に揺られ優しくその葉を揺らしている。暑くもなく、寒くもなく、太陽の柔らかな光が心地良い、そんな外に出かけたくなるような気持ちの良い季節に工藤新一は生まれた。

自分の誕生日を忘れがちな新一が今年はちゃんと覚えていたのは、他ならぬ蘭の春の空手道選手権優勝のお祝いも兼ねている為だ。
三週間前に優勝のお祝いに何が欲しいと蘭に聞いたところ、5月4日にトロピカルランドに行きたいとの答えが返ってきた。蘭に何度も4日は絶対に空けておいてと言われ、なぜそこまで日にちに固執しているのか分からず随分と新一を悩ませたが、理由を蘭に聞くと「もぉ〜、また今年も忘れちゃったの?その日は新一の誕生日でしょ!パーッと遊んでお祝いしようよ!」と、意外とあっさりと答えてくれた。
という訳で誕生日である5月4日の今日、新一と蘭はトロピカルランドへ来ていた。


天気の良いゴールデンウィークの最中ともあって、遊園地は人で溢れかえっていた。家族連れはもちろん恋人同士や友達同士で何処も彼処も賑わっている。アトラクションから放たれる軽快なミュージックや機械音、そして園内の幻想的な雰囲気は人々の日常を忘れさせて魅了する。ジェットコースターから聞こえてくる悲鳴すら興奮材料になるのだ。

新一と蘭はその悲鳴が一番近く聞こえるジェットコースターの待ち列に並んでいた。人気のアトラクションらしくここに来るまで2時間も待つことになったが、あと15分ほどで乗れるだろう。
いつもなら長時間立って待つのも嫌だが、蘭と一緒だと待ち時間も楽しくなるから不思議だ。時間が経つのも忘れてしまうほど、新一の気分は最高潮だった。
「でな、ここでホームズが何でこういう行動を取ったのか分かるか、蘭?」
蘭を見ると、手を口に当ててくすくすと笑っている。
「…蘭?どした?」
「ううん?どうしたの新一、今日は凄くご機嫌じゃない?人混みも長時間並ぶのも苦手だし、いつもならブスッとしてるのに」
「……わーるかったな、ブスッとしててよ」
顔をぷいと逸らすと、蘭は新一の様子を見てますます笑みを深める。
隣り合う新一と蘭の手は、しっかりと握りあっていた。


ジェットコースターを降りると、数個先のアトラクションの奥にある観覧車が同時に二人の目に付いた。アトラクションによっては時間をかなり取られ時間の割にはあまり多くの乗り物に乗っていないが、空は雲が流れ薄ピンク色に変わろうとしていた。今から並べば、夕焼けが見れるだろう。
「…定番だけど、どう?」
「定番だけど、いっとくか」
観覧車の列に並ぼうと足を進めると、新一は少し離れた先にソフトクリームの出店があることに気付いた。
「蘭、ソフトクリーム売ってるけど、食うか?」
「食べる食べる!丁度喉も渇いてたの!」
「じゃあ買ってくっから、ここで待ってろよ。すぐ戻る」
蘭を観覧車前のベンチに座らせると、新一は軽快な足取りで店へと向かった。


「あの〜、探偵の工藤新一さんですよね?」
ソフトクリームを2つ手に取り蘭の元へ帰ろうとしたときに、新一の後ろに並んでいた高校生らしき女性2人組に声を掛けられた。
「はぁ…まあ……」
「キャー!やっぱり!あの、私達工藤さんのファンなんですっ。いつもテレビや新聞を見てます〜」
「…ありがとうございます」
新一はメディア用の笑顔で女の子たちに応えた。

新一が元の姿に戻ってからは以前と違いメディアへの露出を控えているが、それでも高校生探偵という話題性とその端整なルックスからファンは依然と多い。
「サインしてもらってもいいですか?それと、写真も一緒に!」
「ええ、いいですよ」
女子高生らしい可愛らしいキャラクター手帳にサインをすると、女の子たちは嬉しそうにきゃあきゃあと騒ぎながらデジカメをカバンから出そうと手で探っていた。

蘭と恋人同士になる以前なら、蘭を嫉妬させるために貰ったラブレターを見せびらかしたりしていたが、今はそんなことをする必要はなく、むしろこういう絡まれ方は勘弁して欲しいと思うようになっていた。無下に断ることは出来ないが、早くさっさと済ませてほしい。
「あったあった。あ、すみませんが写真とってもらっていいですか?」
並んでいた別のお客に写真を撮るのをお願いすると、新一を中心に女子高生たちが両側に立つ。おまけに腕まで勝手に組まれて新一はげんなりとした。
ったく、勘弁してくれよ……。

少々呆れ顔の新一が撮れた写真撮影が終わると、2人は今度は「よかったら、この後ちょっとお話しません?」と新一を誘った。
コーン立てに放りっぱなしにしてある、新一が買った2つのちょっと溶けたソフトクリームは誰の為なのかを気付いていないらしい。
「すみませんが、ソフトクリームが溶けてしまうので遠慮させて頂きますよ。これを待ちわびている彼女が怒ってしまうのでね」
女の子たちの「あ、ちょっと〜」という声を後ろ耳で聞き流しながら、新一は溶けてちょっとドロッとなったソフトクリームを持って蘭のいるベンチへと視線を合わせた。
そして新一は、蘭が2人の男に囲まれていることに気付いた。




***



新一がソフトクリームを買っている頃、蘭は2人の男の人に声を掛けられていた。
「ねぇねぇ君、友達と来てるの?」
茶髪の男が蘭に話しかける。ボーっと新一の方を見ていた蘭は、いきなり目の前に現れ視界を遮ってきた大きな影に一瞬戸惑った。
「え…?」
「良かったらさ、これから一緒に遊ばない?」
「いえ、あの、連れがいるので…」
「そんなんほっといてさー、俺たちとお化け屋敷行こうよ!ここのお化け屋敷はすんげー怖いって有名なんだってさ」
片方の背の高い男がベンチに座る蘭の座高に合わせ、背を曲げながら手振り身振りでしつこく話し続ける。
「怖いと言えば、前にミステリーコースターで起こった殺人事件知ってる?実際あそこで人が悲惨な殺され方したらしいんだけど」
「バカお前、そんな気色悪ぃこと女の子の前で言うなよ!…ごめんね〜、怖がらせちゃって」
茶髪の男が体裁悪そうににやにやと笑いながらもう片方の男を諌める。蘭は目の前で行われる2人の会話の流れに瞳をパチクリさせていた。
……気色悪いもなにも、当事者なのだが。
2人の男は話にも乗ってこない蘭の態度を気にもせず、何とか気を引こうと喋り続ける。

どうしてこんなことになっちゃったんだろう…。
ソフトクリームを買ってくるという新一を待ってベンチからその後ろ姿を眺めていたら、新一は可愛い女の子たちに囲まれてて、サインを求められて笑顔で応えていた。
……新一がモテるっていうのは分かってる。頭では分かってるけど、心ではそんな簡単に割り切れるものではないらしい。嬉しそうに他の女の子と会話してる姿は新一を遠くに感じて不安になるし、何だかイライラしてしまうのだ。認めたくはないけど…ヤキモチを焼いているのだろう。

そんなことを考えている内に、男たちは蘭の腕を急に引っ張り上げた。
「ほらほら立って〜!」
良く知りもしない男の人に腕を掴まれて、蘭の中で急激に不快感が込み上げる。
「ちょ…あのねぇ!いい加減に」
「俺の連れに触んじゃねぇよっ!!」
蘭が我慢しきれず空手を振り出そうとしたところ、新一の怒鳴り声と同時にソフトクリームが男二人の口に入れられた。
「フガッ…な、なにフんだ…」
「……冷てっ…なんだこれ…ソフトクリーム!?」
ベチャっと下に落ちたアイスクリームコーンと白い固まりを見て、男たちはようやく何をされたのか理解したようだった。口周りは溶けたソフトクリームでベチャベチャになっている。
「てめぇ、いきなり何すんだよっ!」
茶髪の男が新一に食いかかろうとするが、新一はさらりと身をかわしギロリと男たちを睨みつけた。
「俺の女に触んじゃねぇ」
新一は「行くぞ、蘭」と言葉少なめに呟き、驚きを隠せないまま固まる蘭の肩を抱いて観覧車への列に入った。
取り残された男たちは口元から滴るソフトクリームをそのままに、何も言葉を返せずただ唖然として新一と蘭の後姿を見るだけしかなかった。




列に並んでいる間暫くお互いに無言だった。蘭は声を掛けようとしたのだが、ちらりと見た新一の横顔が怒っているのが分かって、何を言っていいのか分からなかったのだ。列がスムーズに進んだところで、前髪をくしゃりと掴んで「はぁ〜〜〜」と深い溜め息をついた新一が漸く口を開いた。
「オメー、他の男どもに隙見せんなよ」
「…何よー、新一だって女の人に囲まれてデレデレしてたくせに」
「はぁー?何言ってんだよ。デレデレなんかしてねーよ。オメーこそ何ではっきり断らねーんだよ」
「そ、それは……」
そこで丁度観覧車に乗る順番がやって来て蘭は口を噤んでしまった。夕方になって多少込み具合は減ったらしく列は思った以上に早く進んだらしい。一先ず係員に促されるまま新一と蘭は観覧車に乗り込む。
新一と蘭は向かい合ったまま席に座った。美しい景観で有名なこの観覧車の中で、気まずい雰囲気は依然と続いていた。

「………で?」
「で?って…」
「さっきこれに乗る前、何か言いたそうにしてたじゃねーか」
新一は足と腕を組んでブスッとしている。ジェットコースターで機嫌の良かった新一はどこかに行ってしまっていた。原因はもちろんナンパ男共だが、蘭はそれに気付いていなかった。

新一が怒ってるのは何故だか分からない。けど、せっかく今日は新一の誕生日なのに……。言うのは凄く恥ずかしいけど、こんな雰囲気のままで今日を終わらせたくない。
蘭は決意を固めると顔を上げて新一と目を合わせた。
「だって新一、モテるんだもん…」
「はい?」
何故はっきりと誘いを断れなかったのかを聞いてるのに、矛先が自分に来るとは思わず、新一は疑問視を蘭に投げかけた。
「だから、可愛い女の子たちに囲まれてる新一を見てたら、何かムカムカしちゃって…あの人達が何言ってるのかなんて聞いてなかったの!」
蘭は顔をぷいと横に向けた。自分の気持ちをはっきり言ったことなんて初めてだ。もう恥ずかしさで新一の顔が見られなかった。

蘭の顔に不意に影が落ちると、新一が蘭の隣に乱暴に座った。膝の上に置かれた手に自らの手を重ね合わせる。
「…新一…?」
「バーロ。それはこっちの台詞だっての。すぐ男に絡まれるのにオメーすげえ無防備だからこっちは心配でたまんねぇんだよ。蘭が他の男と一緒にいるのを見るだけで、すんげームカつく。さっきだって必死に抑えたけど、あの男共を殴り倒そうかと思った」
「新一……」
お互いが嫉妬して、自分の中で思いを燻らせて。
限界まで素直に気持ちを伝えれない意地っ張りさは、お互いに小さい頃から変わらないらしい。幼馴染だからこそ、こういった感情を伝えるのは気恥ずかしさが先に来るのだ。だが険悪な雰囲気になるまで隠すものでもない。元来の性格はそう簡単に変えれないが、素直になるべき時があることを新一と蘭は知っている。


小さな密室は微かに揺れながらゆっくりと上がってゆくと共に、窓からは東都の景色が一望できた。茜色の空は遠くのビル郡を鮮やかに染めノスタルジックさを感じる。全ての色が夕焼けに奪われてしまったような、不思議な感じだ。
「…綺麗だね」
「……ああ」
新一は大半は隣に座る茜色を受けて光輝く蘭の横顔を見ていることは内緒だ。
「オメー、さっきあの男どもに空手掛けようとしてたろ。俺の目は誤魔化せねぇぜ?」
新一がニヤリと笑った。
「だっ…だって、気持ち悪かったんだもん!」
「気持ち悪かった?……それって、俺以外の男に触られたから?」
「…………」
無言を貫いているが、蘭の表情は口ほどに真実を物語っていた。可愛い蘭の姿に新一は抱きしめたい衝動に駆られる。
「蘭……」

「そういえば、新一もとうとう18歳なんだねぇ〜」
蘭の肩を抱き寄せようとしたところで、のんびりとした口調で話題を切り替えた蘭の言葉に遮られた。せっかくキスの雰囲気に持っていこうとした新一は、ガクッと肩透かしをくらった。
「でも本当にいいの?プレゼントは私の料理でいいなんて言って…。トロピカルランドだって新一のおごりだし、何か悪いよ」
「んなん気にすんなよ。言ったろ?優勝したお祝いだって。俺はトロピカルランドのチケットを、オメーは手料理を。この一週間この日のために目暮警部から頼まれた事件を急ピッチで2つ片付けたんだぜ。久しぶりにオメーとゆっくりしてぇよ」
今日だけは新一の携帯電話はオフになっている。今日を蘭と一緒に過ごす為に、新一は満足に睡眠も取れないほど事件に取り組んでいたのだ。疲れはピークに達しているだろう。

蘭は新一の肩にポンと頭を預けた。
「お疲れ様。昨日ケーキ作っておいたから帰りにうちに寄ってくれる?その後で新一ん家で美味しいご飯作ってあげるよ」
「ありがたい申し出だけど、それは明日な」
「え?何で?」
蘭の問いかけに答えないまま、蘭の細い顎に手をかけて新一は顔を近づけた。あと数ミリでキス出来そうなところで止まる。
「………定番、だから?」
「……定番だからな」
丁度観覧車が一番上に上った瞬間、燦然と輝く夕日をバックに2人の唇が重なった。




夜のパレードが終わりかけた頃、新一はパレードに夢中になっていた蘭を連れ出した。
「ちょと新一、どこ行くのよ?」
「ラストはやっぱりあそこしかねぇだろ?」
新一はにやっと笑って、トロピカルランドの夜を明るく照らす巨大観覧車の輝きを背に蘭の手を引いて走り出した。

「…あっ」
ようやく蘭も新一の思惑に気付いて笑みを浮かべる。
二時間おきに噴水が出る「科学と宇宙の島」の広場は、昼間は親子連れが多く憩いの場になっていたり、噴水の時間には水遊びなどをして賑わっているが、今は客はみなパレードや観覧車の方に流れているらしく広場には誰一人いなかった。
「…静かだね」
「誰もいねーなー。みんなパレード見てんだろ。…と、あんま時間ねぇぞ?早く中央に行こうぜ」
観覧車を見ると、秒数ごとに光の線が消えていった。普段は側面はランダムに点滅しているが、噴水が上がる一分前になると時計の針のようになりカウントダウンの時を告げてくれるのだ。あと40秒ほどで9時になろうとしていた。

もうあと少しで噴水の時間がやってくる。期待に胸を込めて新一と蘭はその瞬間を待った。
新一が江戸川コナンになった日……噴水から生まれた虹を見ながら蘭の空手都大会優勝を祝った場所であり、記憶を失った蘭が噴水のお陰で毛利蘭を取り戻した場所。因果な関係があるのかは分からないが、2人にとっては懐かしいような、嬉しいような、切ないような、何だか色んな感情が混じった不思議な場所だ。
「そろそろだぞ………10、9、8、7、6…」
「「5、4、3、2、1!」」
掛け声と同時に周囲から噴水が始まり、すぐに水の二重ベールが新一と蘭を囲った。小さな水の壁は外の雑音も光も遮断し、二人だけの世界を作り出す。

言葉は必要なかった。
惹かれあうように、夢中で口を重ね合わせる。激しく舌を絡ませ合い、きつく抱きしめ合った。
「んん……んぅ…!」
「はっ…ら…ん…」
蘭が苦しいと新一に目で訴えようとすると、その前に新一が唇を名残惜しげにゆっくりと離した。それと同時に、噴水の時間が終わりを告げて水が急激に下がっていく。数秒後には水が完全に引き、先ほどと同じ景色を映し出していた。

「……計算してたのね?」
蘭は不満ありげに新一を睨んだ。
噴水が終わるのも気付かないで、自分だけ何も考えられなくなるくらい夢中になってたとは。いつでも冷静な新一を尊敬しているが、こんな時は恥ずかしさで顔が上げられない。
「万が一誰かに見られてたら、オメー絶対怒るしな。………それに、今日は時間がたっぷりあるし?」
最後のほうは声が小さくて聞き取れなかった。
「え?なんて言ったの?よく聞こえなかったんだけど」
「いや、こっちの話だよ」
再び蘭の手を引きながら、パレードで盛り上がる雑踏の中へと戻る。しかしパレードを見るわけでもなく、出口の方へ向かっているようだ。煌びやかな明かりを背に人気の疎らな暗闇へ吸い込まれていく。
「新一?花火は見ないの?もうあと30分くらいで始まるよ?」
「花火は見るさ。とっておきの良い場所があるんだ」
とっておきの良い場所とは、スケートリンクから見る花火のことだろうか。でも今の季節はリンクは閉鎖されているはずだ。

不思議そうに頭を捻る蘭を見て、新一は意味ありげに微笑みウィンクをした。
「夜はまだ長いんだぜ?」











新一の誕生日=ゴールデンウィーク=娯楽施設=遊園地=トロピカルランドだろうと(単純…)。 トロピカルランド情報(二時間に一回の噴水とか)を知るために映画第4弾をエンドレスリピートしてたんですが、何回見てもいいですねv何であれで付き合ってないとか言えるんだw
中途半端に終わりましたが、真夜中パートは「地上の花」へ。続いてます。
[2009.5.4]


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