雪月花




side コナン

蘭に明後日引っ越すと告げた夜は大変だった。
小五郎と蘭とコナンの三人で食卓を囲んで夕飯を楽しんでいるときに、コナンが明後日毛利家を出て行くと知った小五郎が雷を落としたのだ。

「コナン、オメー何でそんな大事なことを前もって言わねーんだよ!明日から町内会の旅行で箱根にお泊りだっつーのに!!」
小五郎が茶碗と箸を持ったまま怒りをぶちまけた。
「ゴ、ゴメンなさい…」
「お父さん仕方ないでしょ?コナン君のお母さんの仕事の都合で急に決まったんだから!」
蘭が小五郎を宥めるように押さえ込む。

「…だけどなー、いくらなんでも急過ぎねーかぁ?小学校のこともあるし……何か最近どこもかしこもせかせかしてんなー」
「え?どこもかしこもってどういうこと、お父さん?」
「最近警部の様子がおかしいんだよ。現場で会ってもいつにないほど厳しい顔してるし、聞いても何も教えてくれねぇ。この間警視庁に寄ったんだが、佐藤刑事や高木までもが厳しい顔つきして忙しそうに動き回ってたぜ」
「へ〜〜〜」



数ヶ月前から怪盗キッドと共同して解決への道を秘密裏に進めている計画。
組織の全てを明るみに出すこと。

それを達成するには警察とFBIの協力が不可欠だった。コナンは新一として警察に連絡し合い、コナンとしてFBIと接触するパイプ役を担っていた。目暮警部やその部下である佐藤刑事や高木刑事にも動いてもらっているので、様子がいつもと違うのは当然と言えた。

怪盗キッドが派手に動き回り情報をコツコツと集め、それを元にコナンが組織に気付かれないように罠を張り巡らす。最近は博士の家に入り浸り、全体の状況を把握しながら奴らを追い詰める算段を狙っていた。
ようやく解決の糸口を掴んで、組織を倒す願望が叶いそうなのだ。


すでに幾人かの組織中枢幹部を捕らえることに成功している。奴らの情報から、ボスに辿り着けそうなところまで既に事は進んでいる。一週間後に狙いを定めており、一気に攻め入るつもりだ。

コナンはこの巨大な事件を解決するために、身を粉にして動いてきた。
ここ最近は睡眠時間は数時間程度しか取れていない。だけど一歩一歩真相に近づくことで自分が新一に戻れるのが早まると思うと、睡眠時間など惜しくなかった。



「おいコナン、親の事情ってぇんなら仕方ねえが、ちゃんと世話になった奴らに挨拶くれぇはしとけよ」
小五郎は空になったコップにビールを注いだ。
トクトクと黄金色の液体がコップ一杯になると、手にとって一気にそれを喉に通す。
お酒のせいなのか感傷的になっているのか分からないけど、酒に強いはずの小五郎の頬はいつもより赤くなっている。ぶっきらぼうな小五郎の優しさが心に染みた。

「うん。おじさん明日の昼には出かけちゃうでしょ?明日は学校があるから朝に会えないけど、今夜おじさんが泣いちゃう様なお別れの挨拶考えとくよ」
満面の笑みでコナンは小五郎をからかうように刺激した。
「バ、バーロー!俺はオメーが出ていくくらいで泣きゃあしねえよっ!逆に清々すりゃあ!」
案の定、小五郎は顔を真っ赤にさせて怒ってきた。
「コナンくんったら、お父さんのことからかっちゃダメよ〜?こう見えても案外繊細なんだから」
「ごめんなさーい」

お互いの冗談めいた言葉に、コナンは蘭と顔を見合わせて笑い合った。組織のことをこの時だけは完全に忘れて、三人で過ごす最後の晩餐を心行くまで楽しんだ。




次の日、コナンは小学校を転校するという名目で去った。すでに灰原はコナンより早く転校したことにして、阿笠博士とともに警察に守られながら生活している。
少年探偵団は相次ぐ二人の転校に驚きを隠せず、光彦も元太も歩美も泣きながらコナンと別れをつげた。

小五郎は昼過ぎに町内の友人と共に、温泉旅行へ出かけていった。
別れの挨拶はシンプルな言葉しか出なかった。
「今までお世話になりました。ありがとう、おっちゃん」と言うと、小五郎は「いつもはムカつくくらい口が達者なくせに、最後にソレかよ。ヘッ!」と吐き捨てるようにコナンに返した。
小五郎の性格も相まってあまり感傷的な流れにはならなかったが、寝る直線に告げられた「オメーは結構無茶するからな…あんま親を泣かせんなよ?外国でもしっかり勉強して……デカくなったらまたいつでも帰って来い」という言葉と、恥ずかしそうにコナンの頭をガシガシとした小五郎の温かい励ましはとても嬉しかった。




問題は蘭と過ごす最後の夜であった。

「コナンくん、準備が終わったら……今日は一緒に寝ない?」
蘭のこの言葉で、コナンは荷物の整理をしていた手が止まってしまった。

嬉しくないのかと問われれば正直嬉しかったので、「これがコナンとして最後に蘭と一緒の夜だし…」と自ら納得させて、蘭の部屋で素直に寝ることにした。

予想はしていたが、蘭と一緒にベッドを共にしたせいで、一睡も出来ないまま朝がやってきた。



目覚めると、隣に寝ていた蘭の姿は見えなかった。
徹夜は慣れているはずだったのに、自由に体が動かせなかったせいか背中や腕が痛かった。それに加え、蘭の妙に艶かしい寝息や体の動きはコナンの本来は思春期の脳にとって実に刺激的だった。頭もボーっとしていて、これが蘭と過ごす、願わくばコナンとして最後の朝とは思えなかった。

既に蘭はキッチンで朝食を作っているらしく、ドアの外から物音が聞こえてきた。
コナンは傍らに置いておいたメガネを掛け、キッチンへと向かった。

「おはよう、蘭ねえちゃん」
蘭はフライパンに卵を流し入れ目玉焼きを作っていた。ちゃぶ台の上にはサラダとトーストとオレンジジュースが置かれていた。
「おはようコナン君。ちょうどいいタイミングよ?もうすぐ食べれるから、顔洗っておいで」
「は〜い」
蘭と顔を合わせたコナンは不思議に思いながら洗面所へ向かう。

………何か蘭のやつ、目が充血してなかったか?
まさか起きてた訳じゃねえ、よな…?
『全てが終わるまで待っててくれ』とか『すぐ終わらせる』とか、結構ヤバいこと言ってしまった気がするが。
………まさかな?

コナンはハハハと乾いた笑いをした。



蘭と一緒に朝食を食べ終えた頃、江戸川文代こと、有希子がコナンを迎えに毛利家にやって来た。小五郎が旅行でいないことを告げると、文代はお礼を言いたかったのにと残念がっていた。

準備を終えて荷物を背負ったコナンと蘭と文代はそろって階段を降りて、探偵事務所の前に立った。
「コナンがお世話になってありがとうございました。本当に感謝しております」
文代がコナンの頭を無理やり抑えながら、一緒に蘭に向かって頭を下げる。
「あっいいえ、とんでもないっ!私もコナン君がいてとても楽しかったです。まるで弟が出来たみたいで」
「まぁ、弟だなんて言ってもらえるなんて、コナンは本当に幸せものですわ」
「……………」
文代の顔を覆う仮面の奥からは、からかいを含んだ嬉しそうな半目が覗いていた。
白々しく口に手を当ててホホホと笑いかけてくる母親は無視するに限る。

別に俺は蘭の弟になりてー訳じゃねえよっ!

コナンはブスっとして口を尖らせた。
すると文代が「コナンちゃんも蘭さんとお別れが言いたいだろうし、タクシーの運転手さんに話をしてくるわ」と言って、コナン達から離れていった。



残されたコナンと蘭に、静寂が生まれた。
「コナンくん……元気でね?また落ち着いたら連絡頂戴ね」
「うん…。蘭姉ちゃんも、元気でね」
「体に気をつけて。…特に風邪にね。コナン君風邪引きやすいみたいだから」
「うん、気をつけるよ。蘭姉ちゃん今まで本当にありがとう。すごく、楽しかったよ」
「…私も、すごく楽しかった」

「………」
「………」
お互いが無言になり、お互いが何かを言いたそうなのを躊躇っていた。

「じゃあ…僕、行くね?」
「コナン君のお母さんも待ってるものね」
少し離れたところで、コナンの母親である江戸川文代がただずんでいた。止まったままのタクシーのハザードランプがチカチカと光っている。

「……蘭、姉ちゃん」
「ん?」
「僕、蘭姉ちゃんのことが、大好きだよ」
「コナンくん……」
頬を赤く染めながらも、コナンはしっかりと蘭を見つめていた。
「ありがとう、コナンくん。私もコナンくんが大好きよ?」
蘭も続けてニッコリ告げると、コナンの頬はますます赤くなり、顔全体から湯気が出そうなほどに真っ赤になった。

「コナンちゃん、そろそろ行くわよ?」
文代が遠慮がちにコナンに声を掛ける。
「は〜いっ。…じゃあ蘭姉ちゃん、今度こそ行くね?」
コナンは足元に置いていた荷物を肩にかけた。蘭に背を向け、一歩一歩噛み締めるように歩き出す。数十歩行ったところで、コナンは振り返り蘭に手を振った。

「バイバイ、蘭ねえちゃん!」
「バイバイ、コナンくん…」

柔らかな笑みを湛え、蘭は花が満開になったように華麗に咲き誇った表情をしていた。
コナンはその美しさに刹那足が止まる。
そして微かに震える蘭の濡れた瞳と唇を見た瞬間、無意識に鞄を放り投げコナンは蘭の元へ走って行った。

「コナンくん!?」
いきなり引き戻ってきたコナンを受けるとめるため、蘭は再びしゃがんでコナンを受け止めた。コナンはその勢いのまま、蘭の首筋に顔を埋める。

「……コナンくんどうしたの?」
「…………」
蘭はコナンの顔を見ようとしたが、一向にコナンは顔を上げようとしなかった。

「…蘭……姉ちゃん…僕がまた戻ってきたときに全てを話すから…。……聞いてくれる?」
蘭の耳元近くでコナンが囁いた。
「何のことか良く分からないけど…うん、ちゃんと、聞くよ?」
蘭の明るい顔にコナンはホッとして、漸く蘭から体を離した。
再び別れの挨拶を交し合い、コナンは文代と共にタクシーに乗り込んだ。




走り始めたタクシーは、コナンと蘭の距離を徐々に離していった。それでも蘭はずっと立ったままそこから離れなかった。
信号で左折すると、とうとう蘭の姿が見えなくなった。コナンは漸く後ろ窓から正面に向き直ると、下を向いたまま微動だにしなかった。
「……新一、蘭ちゃんが帰りを待っているわ。絶対に、彼女を悲しませるような無茶はしちゃ駄目よ?」
有希子が諭すようにコナンに語りかける。
「………わーってるよ」


タクシーは米花駅へ向かっていた。
駅からは警察が手配した車に乗り換え、博士や灰原や大阪からやってきた服部、そして臨時の同士となった怪盗キッドが待機する、警察とFBI合同の秘密合同捜査本部へ向かう手はずになっている。


組織をぶっ潰したら、もうこれから絶対に蘭を泣かせない。
蘭の泣き顔はもう見たくないから。

コナンはふと思い直す。
もう一度泣かせてしまうかもしれない、と。

先ほど別れるとき、蘭は表面上は明るい笑顔をコナンに向けていたが、何かに耐えるような…泣きそうになりそうなのを抑えた笑顔に見えた。
コナンは蘭の顔見た時、帰って来たら全てを告げなければならないと思ったのだ。
それは蘭の瞳が今朝充血していた事実と符合し、一つの真実に繋がった。

蘭は、コナンの正体を知っている。
知っていて、知らないフリをして黙っていてくれていたのも。

蘭はずっと知りたがっていただろう。でも最後の最後までコナンの嘘に付き合ってくれた。問い詰めたく何度もなったであろうに、それをしなかった。

「バーロー…」

蘭のやつ……。
蘭の優しさを思うと、堪らなくなった。

だが、今のこのコナンの姿では何も言えない。
この姿で言ってしまったら、蘭はコナンの感情や思いを全て背負って心配するだろうから。心優しい彼女には、事実を知るには重過ぎる。

新一に戻って、必ず生きて帰って来るから。
勝手だけど。
願わくば、蘭が笑顔で迎えてくれますように。
自分が一番に、春が来たような蘭の柔らかくて眩しい笑顔が見たいから。

コナンは自分の小さな手の平を見つめて、爪の跡が残るほどギュッと手を握った。











微妙に快斗編だけ話が繋がっていない気がしますが(気のせいではない)、コ蘭だけだとスパイスが足りない気がしたのでこれで通す!もうどうにでもなっておしまい!と若干投げやり気味でございます。
コナンに内緒の快斗と蘭の逢瀬はオイシイぜと思うトーゴーです。
[2009.2.25]


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