ピーターパンに似た




連日真夏日を記録してとてつもなく暑いというのに、夏祭り会場の人混みは更にこの一帯の気温を上昇させていた。
周りは浴衣姿の女性やカップルたちが浮足立って同じ方向に歩いている。というのも、夜から始まる花火大会に向けて、露店が連なる大通りから河原へ一斉に移動しているからだ。

「蒸し暑いな…」
騒々しい人の波を眺めながら、新一は身体に纏わりつくねっとりとした空気を払うように髪をかき上げた。暑い。もう夕方だというのに、立っているだけでじわりと汗を掻く。

いつもならクーラーのきいた家のソファでのんびりと本を読んでいるのに。
季節のイベントごとにあまり興味を惹かれないというか、イベントを覚えられない性分の新一は蘭に誘われ外へ出て、ようやく夏らしい気分を味わっていた。

「ほんと、暑いよねえ」
新一の呟きに、蘭は隣で呑気に手うちわを仰いでいた。今年の新作だという紺色の布地に大柄の花が描かれた浴衣は見た目は涼やかだが、着ている方はかなり暑そうだ。
黒ストライプのシャツとハーフパンツというラフな格好の新一とは体感度が違うだろう。

新一は蘭に気づかれないように、そっと蘭を見た。
目線に入ったうなじに眼が奪われる。 髪の毛は器用に後ろに一つに括っているが、一房残り毛が首筋に落ちており、それが汗で少し湿っているのが分かった。 そしてとどめの気怠そうな熱の籠った吐く息。
新一は押し倒しそうな衝動を抑え込んだ。
(なんでそんな普通にしててエロいんだよっ!)
暑いからだけではない、体の中心が急速に熱を発する。顔にまで熱が広がっていくようだ。

こんな彼女を人目に晒したくない。
蘭は前々から今夜の花火を楽しみにしていた。だが工藤邸からでも花火はちょっと遠いが見れることには見れる。ここは蘭に我慢してもらって、二人きりでベランダから花火を見ようか。いい雰囲気になって、そのままキスなんかしたりして。

そう思い蘭の腕を掴もうとしたところで、すっかり忘れていた存在が帰ってきた。
「いやぁ〜ゴメンゴメン、遅くなって」
「おかえり〜快斗君」
新一の隣をすり抜けて蘭が快斗の傍に寄り添う。
邪な考えを持って伸ばしていた新一の手は、所在無さげに下ろされた。
「はい、蘭ちゃん」
「ありがとう」
快斗は持っていたジュースを蘭に手渡した。 そういえば、喉が渇いたからとジュースを買いに行っていた。この人の多さだ、混んでて並んでいたのだろう。
「ほら新一もやるよ。蘭ちゃんと同じ生絞りレモネードだけど、いいよな?」
快斗を恨めしく凝視するが、新一の真意など伝わるはずもない。
(あと一分遅かったら、蘭を連れて家に帰ってたのに!)
「……サンキュ」
言葉とは裏腹に、粗雑にジュースを受け取る。中に入っているクラッシュアイスの音が弾けた。
快斗は新一の態度に一瞬おや?と不思議な顔をしたが、それを見事にスルーした。


新一と蘭は受け取ったジュースで喉を潤した。 レモンの爽やかな甘みが心地いい。熱くなっていた心も体も、良いタイミングだったのか悪いタイミングだったのか、多少冷やされたようだ。
「冷たくて美味しい〜。でも快斗君遅かったね。迷ってるのかなって思っちゃった。結構並んでた?」
「それもあったけど、ちょうどレモネードが切れちゃっててさ。それで新しく作ってもらってたから」
「あ、そうなんだ」
「お前はジュース飲まねえの?」
喉が渇いたと言っていたのは快斗なのに、買ってきた2つのジュースは新一と蘭に一つずつ渡したため、快斗の手元には何もない。

「俺?飲むよ?コレを」
ようやく気付いたのかと言いたげに快斗はいつもの調子でニシシと笑い、大げさに口元を尖らせ蘭のジュースに持って行った。
「させるかっ」
寸での差で、蘭のストローを銜えるという男の小さな甘酸っぱいロマンは新一の手の平によって阻止された。
「はッ!ザマァみろ。蘭が口つけたやつになんか触らせねぇよ」
意気揚々と新一は踏ん反り返る。
「余裕ないなぁ名探偵。冗談だよ冗談。そんなことしても、俺と蘭ちゃんはもう既にその先を行ってるから」
「どういう意味だよ?」
「なっ、蘭ちゃん」
厳しさを増す新一を尻目に、快斗は蘭に同意を求めた。
「どういうことだよ蘭!?」
新一と快斗のやりとりをジュースを飲みながら呑気に見学していた蘭は、いきなり矛先を向けられ少し戸惑いつつも、快斗の言う『その先』を頭の中で思い返した。

「……ええと、この前メロンパフェを快斗くんつつきながら一緒に食べたこと、かな?」
近い過去から記憶を遡り辿り着いた蘭の答えは、新一にとって寝耳に水だった。

「そうそう、美味しかったよなあのパフェ!特大でさ。生クリームが蘭ちゃんの唇の端についててさ〜、超可愛かった」
「快斗くんったらニヤニヤして全然教えてくれないんだもん。すごい恥ずかしかったよ」
「舌でクリームを舐めて取らなかった自分を褒めてあげたいね、うん」
「もうっ、そんなことしたら怒るからね!」
目の前で繰り広げられる恋人さながらの、目も当てられない甘い会話。

夏祭りに出没するナンパ男どもに目を光らせなければと思っていたが、 何よりも警戒すべき危険な男がすぐ傍にいるという事実を新一は改めて認識した。
しかも、今日その場限りの雑魚なんぞ相手にならない、強力な敵が。
隙あらばと蘭の日常に潜み、軽い調子であわよくばなんて願ってるヤツだ。

「おい蘭、そのパフェって前に俺と約束して一緒に行くはずだったろ?何で黙って快斗と行ってんだよ!?」
約束を破られた想いとその役を快斗に奪われた想いが重なり、発せられた声は思ったよりも大きいものとなった。
「だって…あのメロンパフェ季節限定で二か月しか食べられないんだもん。それに新一、最近事件で忙しくて私のこと放ってたでしょ」
「それは…」
ジト目で痛いところを突かれ、新一は反論の仕様がなかった。

まだ未熟で、甲斐性がない自分。
愛しているのに相手に愛されたい思いが強いから、蘭にいつも甘えてしまう。
我慢させているのが分かっているから、蘭が寂しい時に快斗がいてくれて助かる時もある。だが、同時に快斗と蘭がいる時に俺がいないのは我慢ならない。
というか、この男は何でいつも良いタイミングで蘭の傍にいるんだ。

「まぁなんだ新一、俺は役得だったし。蘭ちゃん可愛かったし。今日も浴衣姿可愛いし。全部、チャラにしようぜ?」
「そんなんで納得できるわけねぇだろ!前から言っておきたかったんだが、快斗お前―――」
新一の言葉を遮り、快斗は突然新一の耳元に近づいて飄々と囁いた。
「それに、名探偵が公共の場で発情してた事は蘭ちゃんに内緒にしといてやるから」
「……………」 快斗に文句の一つでも言ってやろうかと思っていたが、新一は口を開いたまま固まってしまった。


「なに内緒話してるの二人とも。新一も快斗くんも、早く河原に行かなきゃ花火の場所取れなくなっちゃう。先に行くよ〜」
待ちきれないのか、下駄の涼やかな音を鳴らしながら群集の波にのまれようと足を進める蘭に、新一と快斗は一先ず休戦して夜の花火を堪能するために蘭を追いかけた。

蘭を中心にして回る、微妙なバランスで成り立っているこの関係はこの夏も続くらしい。






[2012.9.15]

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