Melancholy Night




夜になると蘭は窓の外を見る癖があった。
見上げる夜空は時に穏やかに地上を照らし、時に激しく風雨を撒き散らし、毎夜美しく蘭に降りかかる。
月の光を受けてきらきらと輝く星を見たり、風に乗って姿を変える夜の灰色の雲をぼんやりと眺めたりする。
空は一日だって同じ姿をしていなく、自由で移ろいやすい。
だからこそ夜が不安で堪らなかった。

(今日も無事でいますように)

蘭は毎夜そう願う。
恋人は探偵で、捜査が深夜までかかり帰りも真夜中になることが多い。
かつて新一が長期で行方不明になっていた事実は蘭を心配性にさせた。一緒に暮らしている今でも、時々揺り返しが来る。
怪我はしていないか、ちゃんと無事に家に帰ってくるだろうか。
またどこかに行ってしまわないかと。
特に夜になると不安も増した。

学校の課題をしていても気が乗らない。
気晴らしに家事をしていても何だかそわそわしてしまう。
偶に情緒不安定な時があり、蘭もそれを自覚していた。

「……弱いなぁ」
ソファに脱力したようにもたれかかりながら、蘭はため息交じりの弱音を吐いた。
永遠とも思われる長い夜を感じた。
新一と暮らして幸せなはずなのに、不安で押しつぶされそうになる。
誰もいない静かな夜は思考を停滞させた。
蘭だけが世界から取り残されたような気がして、心の奥底からじわりと闇に囚われる。
じんわりと瞳が潤んできた。
蘭は気分を落ち着かせようとお茶を沸かすためキッチンへと向かおうとした時、玄関から物音がした。

「ただいま。蘭?」
同居人が帰ってきたらしい。
ホッとしたのも束の間、新一はリビングに直接顔を出してきた。
「おかえりなさい、新一」
「こんな時間まで何やってんだ?」
いつもは新一の部屋で寝てるはずなのに、リビングに明かりが灯っていたのを不思議に思ったらしい。時計を見る。午前一時を回っていることに気付いて、少しバツが悪くなる。
蘭は顔に笑顔を張り付けた。
「何でもないよ。ソファでちょっとうたた寝しちゃってただけ。すぐ上に行くから」
新一の横を急いですり抜けようとすると、腕を取られた。
バランスを取ろうとする間もなく新一の両腕に包まれる。

新一は一つ溜め息をつくと、考え込むような表情を見せた。
「おめーって嘘つくの下手だよな」
「べっ…別に嘘なんかついてないわよ!」
「あ〜あったけー…」
新一は蘭の返答を無視し、蘭の首元に顔を埋めた。
いつまでたっても腕を放さない新一に、蘭は逃れるように身体を捻らせる。
「…ちょっと、放してよ」
「ヤダ」
「ヤダじゃないでしょ?…私、もう寝るから」
「……ゴメンな」
抑えられた低音の声は、新一の真剣さを表していた。「何のこと?」とトボけずとも、新一の言外に含まれる意図を察して蘭は少しだけ瞳を伏せた。
どうして新一には分かってしまうんだろう。 たった一瞬の蘭の表情で全てを分かってしまったというのだろうか。
新一が謝るべきではないのに。彼の選んだ道を誇りに思ってるのに。

新一は蘭の頭を優しく撫でた。優しさに涙が出てきそうだ。
「違うの新一、謝らないで。私がただ、子供なだけ」
「そうさせてるのは俺だろ?」
「…………」
「文句も不満も受け止めてやる。だから、お願いだから溜め込まないでくれ。嫌だって思ったら嫌だって言っていいんだぜ?」
「言ってもどうにもならないって分かってるもの」
「…そこを突かれると痛いな。どうすればいい?どうしたら蘭の力になれる?」
全てを吐き出してしまいたかった。
だけど言えば新一が困るのを知っているので、蘭は唇を食いしばって耐えた。
「蘭…」
新一は蘭の顔中に優しい口づけを繰り返した。
蘭の心の奥深くに潜んでいる闇を徐々に解くように、慈しみを込めて何度もその行為を繰り返した。

何分か経過していたように思う。
蘭はこみあげるものを静かにじっと耐えていたが、抑えていた感情が飽和点に達しそうだった。
やがて、絞るような声で願いを吐露した。
「……今日だけ、傍にいて」
涙が一筋頬を伝った。
真っ直ぐに零れた透明な雫は、新一の唇によって掬われた。
(ごめんなさい)
蘭は途方もなく後悔した。 我が儘で弱い自分が情けなかった。
新一の顔すら見れなくて、俯くことしか出来なかった。

「蘭、こっち向いて」
「…………」
「分かったから、おめえの気持ち」
「……違うの、私…」
「明日…って、今日か?今日は現場に行かない。蘭と一日中過ごす」
「無理言わないで。まだ事件解決してないんでしょう?」
「もう決めたんだよ」
「でもっ…!」
焦って言葉を紡ごうとすると、新一は蘭の唇に人差し指を置いた。

「俺だって我儘で強情なんだよ。……俺も子供だからさ」
自信たっぷりに笑む新一を見て、 咄嗟にどう答えていいのか分からなかった。
新一が蘭の膝裏を持ち上げると、蘭の視界が反転した。
「ちょ…、新一っ」
新一は蘭を担いだまま一気に階段を駆け上がった。
迷うことなく足を進め、新一は部屋のドアを開けて蘭をベッドに乱暴に乗せた。 蘭の小さい悲鳴を気にせず、新一は蘭に覆い被さった。
「付け加えると、子供みたいに独占欲も強いから。『蘭はオレのものっ』ってね」
冗談っぽく、けれどある種の意図を含んだ言葉。
その瞬間、首筋に痛みを感じた。 獣のように、新一の歯が蘭の首筋を捉えていた。
始めの一撃は少しの痛みを伴ったが、それ以降は甘噛みと舌の動きで蘭を翻弄した。快楽を引き出そうという意思が汲み取れて、蘭の身体がざわりと震えた。
新一は角ばった指で蘭の顎を挟み上げると、今度は深いキスを仕掛けてくる。荒々しいキスに、蘭の呼吸は乱れた。
「っ……!…もう!これのどこが子供なのよっ」
慣れた手つきで蘭の身体を弄り始める新一に、蘭は口先だけ文句を言った。
どうせ眠れない夜になるのは同じだから。








蘭は隣でぐっすりと寝ている新一に気づかれないように、気怠い身体をゆっくりとずらした。光が差し込まないように慎重にカーテンを捲る。
いつものように、蘭は窓から天を覗いた。
夜が明ける直前の、濃紺と赤みが差し込んだ色合いを見て朝が近いことを認識する。
一時間も寝ていない上に情事のせいで身体も怠い。
だけど、蘭の意識ははっきりとしていた。
新一は蘭をとことん甘やかすけど、誰かに甘えて頼ってしまうのは蘭の性分ではなかった。
新一はあんなことを言ってくれたが、探偵をしている彼が好きなのだ。
蘭の心の問題は蘭が自力で乗り越えるしかない。
あと30分もすれば朝がやってくる。
シャワーを浴びて、朝食を作って、新一を起こさなければならない。

蘭は首筋に残った新一の歯型に触れた。
数日は続くであろうその印に、気恥ずかしいと共に嬉しい気持ちが込み上げる。
新一は色んな感情を蘭にもたらしてくれる。
昨日はあんなに沈んでいた気持ちが一切消え去っていた。
「ありがと、新一」
起こさないように、小声で呟く。
花の蕾が徐々に綻ぶように、蘭はゆっくりと柔らかに笑んだ。

これから何度もこんな夜を繰り返すのであろう。
新一はまたいつものように出掛けていく。彼を必要としている人がいるから。
蘭も、いつものように新一を送り出す。
そしてそれはこれからも続くのだ。







しっとりを目指したはずなのに、微妙に暗くなりました☆
蘭ちゃんは「デート少ないっ!」とかの直接的な不満(新蘭らしい不満・・・)は工藤さんに訴えれるけど、相手の重荷になるような根本的な不満は素直に言えないだろうなと思って。
[2011.8.20]




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