恋かもしれない




怪盗キッドにとって、冬の仕事は好きな季節だ。
空気が澄んでいるから仕事衣装の白色は夜の黒色と相反して目立つ。
それゆえ人の目をよく引く変わりに人の目を欺くマジックが仕掛けやすく、仕事がやり易いからだ。


だた、今日はそんなマジックを利用して己の姿を消す必要はない。
何故なら鈴木財閥の屋敷に納められている、希少な宝石であるレッドスピネルのネックレスを盗むと宣告してきたキッドを捕まえるため―――という名目の工藤新一を演じることにしたからだ。

操作に協力することを目暮警部に伝え、新一に変装した快斗は迎えに来てもらったパトカーで鈴木家へ向かっているところだった。
この姿になるのは何度目かだが、案外気に入っている。
皆探偵の新一を信じていて捜査の情報を簡単に得ることが出来るし、何故だか知らないが新一と顔立ちが似ているせいで変装を見破られる危険性がないからだ。

―――まぁ、メガネの探偵坊主以外を除いてだが。

幸いなことに、いつも必死に蘭を守っている小さな騎士は同級生達とスキー旅行へ行っているとの情報が入っている。
そして蘭は園子の家に泊まる予定だとも。
(やっかいな奴もいないし、今夜の仕事は楽勝だな〜。)
知らず、快斗は唇に笑みを浮かべた。

何回か下見に忍び込んだが、レッドスピネルはいつも鈴木夫人専用の金庫の中に納められていた。
だがキッドが絡むとなると、当日隠し場所をどこかに移動する可能性がある。
その為に新一の姿になって詳しい情報を掴むつもりだった。
今夜午後10時―――決行。







セキュリティーの解かれた鈴木邸の門をくぐると、快斗は意気揚々として警視庁のパトカーから降りた。
冬の夜は早い。すでに空は暗くなっていたが、ここ鈴木家は逆に光に包まれていた。庭中に巨大ライトが設置され、眩い光が夜に向かって放たれている。

久しぶりのキッドの出現だけあって警察も張り切っているようだ。多くの警察官が動員され、キッドを見逃すまいとすでに厳戒態勢である。
(おーおー、精が出ますねぇ)
快斗は横目でそれらを眺めて、前もって調べておいた脱出経路や警備が手薄な場所を確認しながらゆっくりめに歩いた。

玄関で素性検査を受けた後、邸内の厳戒警備の中応接間に通された。
ソファに腰を掛けていたのは鈴木家の主鈴木史郎と目暮警部だ。
入ってきた”新一”に気がつくと、二人は立ち上がり快斗に近づいてきた。

「久しぶりだね、工藤君。今日はよろしく頼むよ」
「おお、工藤くん。すまんね、この寒い中」
クールな表情を顔に乗せて快斗はどうも、と軽く挨拶をする。
いけしゃあしゃあと「もちろん、キッドを捕まえてみせますよ。この工藤新一にお任せください」と名探偵の主張も忘れない。

キッドの予告時間や予告状について目暮警部から情報を聞いた後、肝心の警備情報を探ってみた。
「それで、警備の方はどういう風になってるんです?」
「そのことだがね……」
目暮警部と鈴木氏はお互いに顔を見合わせ、困った様子で苦笑する。
「何かあったんですか?」







予想外の展開だ。
まさか、狙うレッドスピネルが鈴木園子の自室にあるなんて。

快斗は長い廊下を歩きながら、先ほどの鈴木氏の言葉を思い出す。彼によると、園子から宝石を預からせてくれとお願いされたそうだ。
娘が危険に晒されるのを心配して反対したのだが、「大丈夫よ、パパ。キッド様は女性に優しいんだからっ。ちゃんとレッドスピネルは守るから安心して!それに、ちょっとした作戦があるしね♪」と周囲の説得を他所に、勢いで乗り切ったらしい。
父親は娘には甘いらしく、最終的に警察を園子の部屋の外に置く、という形でしぶしぶ娘にレッドスピネルの命運を預けた。

でも、これはチャンスかもしれない。
新一として来ていることで楽に園子に接触できるから、レッドスピネルの在りかが分かるだけではなく、盗りやすい。何を狙っているかは知らないが、女子高生の考えることだ、狡猾な罠は仕掛けてはないだろう。

ちらりと腕時計を見る。現在、夜八時。
会長が探偵だとはいえ男を娘の部屋へ訪ねることを許してくれたのは、園子と一緒に蘭も部屋にいるからである。新一と蘭が恋人同士であると園子に吹き込まれている会長は、素直にその話を信じているらしい。
(…ま、あながち間違っちゃあいないケド)

今は仮の姿でコナンとして甘んじているが、新一と蘭はどうみても相思相愛でお似合いの二人だ。元に戻れば自然とそうなるのであろう。
(あのナイスバディがあの探偵のモノになっちゃうのかー!羨ましすぎるぜっ!)

そうあれこれ考えてるうちに、快斗は目的の場所にたどり着いた。
園子の部屋である。怪盗キッドが現れる時刻まであと2時間あるとはいえ、すでに部屋の周囲にはピリピリとした雰囲気を醸し出す警察がずらりと立ち並んでいる。
おっかね〜な〜。そう思いながら部屋のドアをノックしようとした。

「ちょ、ちょっと新一くんっ!」
壁の影から園子が小声で声を上げる。手をこまねき、快斗をこちらへ来るように促す。
「…何だよ、園子」
彼女はオフホワイトのトップスに厚い生地の黒色のスカートをはいていた。
……そして、その胸元には赤く輝くレッドスピネルのネックレスが。

(これか……?)
隠しておくのに捻りも何もあったもんじゃない。
宝石をさりげなく凝視しようとすると、右肩をがしっと掴まれた。
「…んだよ」
「いいわね、新一君。わたしはこれからお風呂に入ってくるわ。でも、暫くは戻ってこないから」
「はぁ?」
「その間、部屋の中にいる蘭と一緒にいるのよ〜ん。蘭には新一君がうちに来てることは内緒にしてあるから。あと本物のレッドスピネルは蘭が付けてるから、キッド様から蘭を守ってあげてね!」

じゃあね、狼にならないようにね〜と、言いたいことだけ言って、園子は数人の警察に守られて嵐のように去っていった。
「………」



整理をすると。
新一がうちに来ると知った園子は新一と蘭を少しでも一緒にいさせてあげたくて、レッドスピネルを自分の部屋にーーー蘭の元に隠すことを思いついた。新一が宝石の側で警護することを見越した上の判断だろう。

園子が偽物のネックレスを付けているのは、これみよがしに見せ付けることでレッドスピネルは園子の部屋にはなく、自身が身に付けていることを認識させるため。そうすることで、部屋の前に居座っているお邪魔虫の警官達を安心させて、新一と蘭の邪魔をさせないため。
そして、万が一の時には蘭もネックレスもキッドから守ってもらう、と。

蘭もものすごい親友を持ったものだ。新一を信用しすぎではないのか。ネックレスを奪うのはこの新一なのに。
くっくっと笑いがこみ上げてきた。




園子の部屋のドアをノックして、返事も待たずに快斗はするりと中へ滑り込んだ。
「園子?」
可愛らしい声と共に視線を扉に向けた蘭は、入ってきた人物を見ると瞳を大きく広げた。
彼女は部屋の中央に配置されているアンティークの椅子に掛けていたが、驚いて立ち上がる。テーブルの上からバサッと読みかけの雑誌が落ちた。

「新…いち…」
「よっ、蘭。久しぶりだな」

手を上げて挨拶しながら、快斗は蘭に近づく。
お風呂に入ったばっかりだからか、甘い香りが蘭の周りから漂う。

いや、それよりも問題がある。彼女はネグリジェを着ていたのだ。
男心をくすぐる、清楚な白色に幾重にも重なっている薄いレース。ふんわりとした生地からは長く細い手足が伸び、胸元は大きく開かれ、そこからレッドスピネルのネックレスが胸の谷間に向かって垂れ下がっている。

いくら暖房が効いてるとはいえ冬にこの格好は如何なものか。お嬢様の陰謀であろうが、まったく感心してしまう。グッジョブである。

「………」
「………」



ふいに沈黙が落ちる。
快斗は蘭に見惚れていたから思考が停止していたが(ある意味猛烈な勢いで働いていたが)、蘭の様子が気になった。
目線を合わせると、蘭の大きな黒目が微かに揺れる。
新一と会うのは久しぶりだろうから、戸惑っているのだろうか。

「蘭…?」
「新一…じゃ、ないよね。…あなた―――キッド?」

二人を取り巻く空気が変わる。

「…な、何言ってんだよ、オメー。」

変装は完璧。声色も完璧だ。性格や癖、言動にも注意を払っている。工藤新一本人以外、誰も見抜けないとの自負がある。内心動揺したが、ポーカーフェイスを崩さぬまま快斗は蘭の表情を探った。

先ほどまで驚いていたとは別人の、落ち着き払った顔。小さい口はキュッと結ばれ、瞳は真っ直ぐに快斗の目を見つめている。悟った顔。快斗はそう確信した。
ごくりと唾を飲み込む。少しの沈黙のあと、快斗は思わず口に出していた。

「何で…分かった?」
乾いた口から出た言葉は、怪盗キッド用の気障な言葉遣いではなく、快斗自身のそれだった。
蘭は体の筋肉の緊張しを解き、ホッとした口調で答える。
「ん…何でかな。分かっちゃったの、一目見て。違う、この人は新一じゃないって」

それだけ新一の側にいて、新一を見てきているという証拠なのか。それほどまでに好きだということか。
きっと両方だ。
工藤新一という男が羨ましい。

何かが心の中にもやもやと湧き上がっていたことは分かったが、それが何なのか快斗には説明がつかなかった。

「ぷっ…」
「へ?」
急に蘭は堪らない、といった風に口に手を当てクスクスと笑い始めた。何が可笑しいのか快斗には分からない。
「蘭…ちゃん?」
キッドとバレた後、初めて蘭の名を口にする。不思議な感覚がフワリと体中を駆け巡る気がした。
「…あ、ゴメ…!だって、普通バラす?自分が怪盗キッドなんて。」
「………」
その通りだ。迂闊としかいいようがない。

放たれる甘い香りに惑わされ、魅惑の身体に視線を奪われ。蘭の真っ直ぐな黒耀色の瞳に吸い込められ、その真剣さについ動揺してしまったのか。
(いや、冷静になれ)
快斗は直ぐにその心に蓋をする。怪盗キッドは人を惑わしてもいいが、自分が惑わされては商売上がったりだ。

「まいったな…じゃ、バレたところで仕事に戻らせてもらうよ。…予定時刻よりだいぶ早いけど、仕方ないかっ」
「え?」
快斗が指で音をパチンと鳴らすと、部屋の電気が全て消えた。いきなり暗闇に放り投げられた蘭は、何が起こっているのか理解できない。その隙に快斗は蘭の腰に手を回すと、左手で蘭の胸元からネックレスを取り出した。
「ちょ…えぇっ…」
(なっ、なに!?わたし今、何されてるのっ!?)
蘭は驚いて声も出ないが、頬はみるみる真っ赤に染まっていった。反射的に後ずさりしようとするが、快斗の腕に固く支えられて動きが取れない。

快斗は器用に蘭の首からネックレスを外すと、窓から漏れる月明かりにレッドスピネルをかざす。
宝石の中には何も見えなかった。

―――これも違う、か。

ふぅ、と小さく溜め息をつく。

「なに、してるの…?」
蘭が不思議そうにネックレスと快斗を交互に見る。快斗はやんわりと蘭の腰から手を離し、今度は両手でネックレスを付け直す。

「ん?これはね―――企業秘密ですよ、お嬢さん」
ニヤリと笑ったかと思うと、今度は白い煙と共にパンッと小さく乾いた音がする。すると、目の前には白いシルクハットを着た、何度も遠目で見たことのある怪盗キッドが現れていた。
「すご…」
蘭が驚いて目を閉じたのはほんの少しだったのに、その一瞬の間に新一の姿からキッドに早代わりしてしまった。目をパチパチさせる無邪気な蘭に、快斗は柔らかく微笑む。

「このネックレスはあなたのような女性の元にあるのが一番美しい。今日はこのまま帰ることにします」
蘭に向かってふわりと一礼をする。そして快斗はテラスの窓を静かに開けて出ようとした。

「ま、待って!」
窓側に駆け出した蘭に、快斗は何かを思い出したように振り返る。
「―――君に迷惑を掛けてしまったお詫びにこれを」
何も持っていなかったはずの快斗の右手から一輪の薔薇が現われ、蘭に差し出された。
「―――私、に?」
「もちろん」

蘭は静かに腕を伸ばし、真っ赤に染まった薔薇を受け取る。
「……ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。……って、感謝するのはこっちだったりして」
「え?」
気障な表情をしていたキッドから一変して、イタズラっ子な表情を覗かせる。
「正体を知っても、すぐに逃げて誰にも知らせようとしなかったこと。……それと、ヤラシイ格好をありがとう」
一瞬何のことだか分からなくてぽかんとしていた蘭だが、いや〜、胸なんかすごいボリュームだよね〜と言葉を付け足すと、蘭はようやく意味を悟った。
「………!!」
「それでは、またいずれ」

慌てて両手で胸元を隠す蘭を尻目に、快斗はテラスから飛び出す。部屋のテラスは家の側面に付いており、警備が手薄になっているところの一つだった。
このまま誰にも気付かれずに逃げてもいいのだが、それでは怪盗キッドの名が廃るし、第一面白くない。目立ちたがりな気質は根っからのマジシャンなのだ。

快斗はそのまま屋根の上へ駆け上がり、ワザと大きな爆発音を出して、たった今屋根から出てきたんだとアピールする。そして外を警備していた警察に自身を目撃させると、ハンググライダーを使って勢いよく夜空を駆け上がった。





痺れるような風を受けて、慣れた手つきで手元のハンドルを器用に操作しながら快斗はふと考える。
蘭といた間に駆け巡った感情は何だったのだろうか。艶かしい姿にどきりとしたのは確かだが、それだけではない気がする。見つめられた瞳から目が離せなかった。
あの時、彼女を独り占めしたいと思ってしまった。

ただ、彼女のことが気になる――――――。





同じ頃、一人部屋に残ったままの蘭が薔薇を胸元に当てたまま、快斗の去った方向を切なげに見ていたことを、快斗は知らない。

キッドが時間外に現れたことに士気が乱れた警察は、戸惑いながらも慌てて次々とパトカーでキッドを追いかけ始める。

外がライトの黄色とパトカーの赤色と警察のざわめきの中で揺れる中、キッドのいた部屋の中だけが切り出された世界のように静かに黒く横たわる。

半開きのままのテラスへ続く窓が、冷たい風に晒されてキィキィと音を立てていた。











昨年の秋に快蘭に嵌り、快蘭MOE!フィーバーの中こんなのが完成しました。 その勢いに乗ったまま無謀にも快蘭冬企画「Love Sick 2」様に投稿。
こんな拙い小説を快く受け取ってくださった主催者様に感謝!
[2009.3.29]

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