午後十時、蘭は昼間に立ち止まった教会の扉の前に姿を現した。生温かい夜風が蘭の肌を通り抜ける。街灯は元から少なかったが、人通りまでないのはどういうことだろうか。

(……何でこうなっちゃうの?)

蘭は憤慨していた。
投げ出されたコインはどちらが表か裏かは全く分からなかった。だが持ち前の勘で何となく裏だろうと思ったら、快斗の手の甲から出てきたのは予想に反して表であった。
ニンマリと喜ぶ快斗に、蘭は平伏すしかなかった。
たまには勘が外れることもあろう。だけど妙に晴れ晴れとした快斗は、何となくだが妖しい気がしてならなかった。文句を言いたかったが、アパートに帰ると快斗はすぐに「買い忘れたものがある」と出かけてしまい、タイミングを逃してしまっていた。

満足に話し合いも出来ぬまま、快斗に言われ教会に連れられてきた。蘭はハァと小さい溜め息をついて小声で呟いた。
「絶対合ってると思ったのにな…」
「蘭ちゃんの強運もたまには外れるってことさ」
「ひゃっ!」
蘭の背後から快斗が声を掛けた。
「…も〜、驚かさないで」
「アパート出るときは意気込んでたのにな。どうする?俺が代わりに懺悔しようか?」
快斗が面白がるように蘭をからかうと、蘭はムッと頬を膨らませた表情で「負けは負けなんだから、私が罰ゲームをしますっ」と言った。

蘭の機嫌を損ねるわけにはいかないからお得意のポーカーフェイスで隠しているけれど、快斗は口元を押さえて笑いたくてしょうがなかった。
大人っぽい見た目とは違ってかわいらしい蘭の言動はギャップがあり、非常に快斗のツボを押してくる。そして意外と負けず嫌いなのも。

「それじゃあ鍵を開けるよ。ちょっと下がってて」
ズボンのポケットから長いピンを二つ取り出して長さを調節すると、快斗はピンを扉の隙間に滑り込ませた。警備が厳重な金庫ならともかく、街の教会の鍵を開けるなど快斗にとっては朝飯前だ。
ガチャガチャという数回音がしたと思ったら、ゆっくりと扉が開いた。時間にしたら僅か十秒足らずである。

「快斗くんの天職ってもしかして泥棒なんじゃない?」
蘭は嫌味たっぷりに返した。快斗に負けたことに対してまだ根をもっているらしい。

怪盗キッドとして美術品を盗んでいた、そう遠くない過去。
父親が殺された理由を知りたくてずっとパンドラを探していたが、蘭と一緒になる切っ掛けとなった二年前に全てが解決した。今は新進気鋭の奇術師としてステージに上がり人気を博してきている。

「いや〜褒められると照れるね」
「褒めてないっ!」
快斗は蘭の嫌味を軽くかわすと、真っ暗な教会の中へ蘭を促した。



外は静かだが、中に入ると余計に静かに感じた。
天井は高く全てを飲み込んでしまうようだ。上を見ても真っ暗で何も見えない。
ステンドグラスから漏れる月明かりで、周りが何も見えないということはなかった。長椅子が何列も並び、中央には思ったよりも広々としたスペースが奥へと繋がっていた。その奥には牧師が立つ小さなテーブルがある。こじんまりとしているが天井は高く、思ったよりも広く感じる。

そして部屋全体を見渡すように聖人の白い像が高い位置から快斗らを見つめていた。キリスト教徒ではないが、神聖な雰囲気に自然と畏怖してしまう。
快斗は心の中で「…お邪魔いたします。勝手に侵入しちゃってスイマセン」と殊勝に謝った。

「さ、蘭ちゃん、あの中央の机まで行くんだ」
「え?付いて来てくれないの?」
蘭は不安交じりの声を零した。
「もちろん。付いていったら罰にならないでしょ?」
恨めしそうな視線を快斗に向けながらも、蘭は素直に恐ろしげに一歩一歩踏み出した。静寂な教会に蘭のサンダルのヒール音がコツコツと響く。

牧師の机に近づくにつれ徐々に大きくなっていく像に、悪いと思いながらも蘭は像を見ることが出来なかった。像が動いたらどうしよう、目が動いたらどうしようと考えてばかりだ。
蘭は一度振り向いて快斗を見た。
手を振って何とも楽しそうな快斗の姿にますます心細くなる。寒いわけでもないのに鳥肌が立つ。自分を守るように、両腕を抱えながらひたすら前を目指した。今なら例え小さな音がしても心臓が飛び出そうな勢いだ。


ゆっくりと時間を掛けた歩みの末、蘭はようやく机に辿り着くことができた。
まだ恐怖から来る心もとない不安感で一杯だが、一呼吸置いて落ちつきを取り戻そうとする。

(ええと、ここで懺悔すればいいのよね…)
蘭は姿勢を正して祈りのポーズを捧げた。
沈黙の空間に、蘭の心地良いトーンの声がこだまする。
「まずは、こんな勝手にお邪魔しちゃって本当にごめんなさい。すぐに出て行くのでどうか許してください。……えっと、懺悔します。つい先週快斗くんのお気に入りのシャツ―――」

パァン…!

「きゃ…!」
クラッカーが割れるような音がして、蘭は驚いて反射的に目を瞑った。

恐る恐る目を開けてみる。
薄い霧の中、まず光沢の掛かった白い輝きが蘭の視界に入った。
「なにこれ…!?」
キャミソール一枚とホットパンツというカジュアルな服装だったはずだが、ウェディングドレスに変わっていた。

胸元はシンプルにまとめられスッキリとした印象を与えている。蘭の華奢な腰はタイトに絞られ、足元にかけて流れるドレスはふわりと軽やかに舞い、レースとスパンコールが優美な雰囲気を醸し出していた。
首にはドレスに負けないように高級そうな宝石がいくつも並んでいる。……いつの間にか靴まで変わっている。
全身が白に包まれ、暗闇の中で白が浮かび上がった。薄暗いのがかえって純白を強調しているようだった。

どういうことだろうと考えることもなく、犯人は分かっていた。
こんなことをする人は一人しか知らない。蘭は犯人に問うために勢いよく後ろを振り返った。
「快斗くんっ、どういう…こ……と…」

蘭が言葉を失ったのも当然だった。
以前までトレードマークでもあった白いシルクハットとマントとモノクルは消え去り、新郎が着る白いタキシードだけになっていた。白い衣装は同じだがキッドとは違う。見慣れていたはずなのに、持っている雰囲気がキッドとはまるで別人なのだ。
カッコいいと蘭は不覚にも思ってしまった。快斗くんは白がやっぱり似合うなぁと、別の事をのん気にも考えていた。

「―――蘭ちゃん」
「えっ?」
蘭はドキリと身構えた。
「オレと結婚してくれる?」
「――――――!」

ウェディングドレスとタキシード。いくら蘭でも自分がどんな状況に立たされているのか理解できる。
だがまさか罰ゲームをしているときにプロポーズされるとは思わなくて、蘭は何も言えなくて立たずんだままでいた。すると、快斗がゆっくりと蘭に近づいて来る。確かめるように、ゆっくりとした足音を鳴らしながら。

「神様の前で言いたいことがあるんだ」

蘭の横に並ぶと、快斗は微笑みを湛えて蘭の手を取った。

「結婚しよう」

蘭は近くで快斗の顔を見て分かったが、キッドの持つ凜とした雰囲気と違う理由が漸く分かった。
快斗は緊張しているのだ。人を欺くことを楽しんでいた瞳は、今は真剣な―――少しだが不安の入り混じった瞳で蘭を見つめている。

どうしよう、この人が好きでたまらない。
目の前にいる人は誰なんだろう。ずっと一緒にいたはずなのに、こんなに緊張した顔を見るのは初めてだ。快斗はすぐ傍にいるのに、触れたら消えてしまうかもしれないと蘭は思った。胸から熱いものが込み上げてくる。

「…嘘じゃないよね?」
「俺はキッドを辞めたんだよ?もう嘘はつかないよ」
「…さっき、ついた。「買い忘れたものがあるから」って言って誤魔化して出てったくせに。…始めからこうすること考えてたのね」
「……アラ、バレてた?」
快斗はいたずらがばれた時の子供のように無邪気に笑った。
「うん、今ね。アパート戻った後すぐに出ていったのは、ドレスを揃える為でしょ?」
笑顔が零れた弾みで、蘭の頬に一筋の涙が伝った。

「さすが探偵の娘だね。で、返事をできれば今すぐ貰いたいんだけど」
「答えは分かってるのに?」
「男ははっきりとした答えが欲しいものでね」
「バカね……―――快斗くんと、ずっと一生一緒にいたいよ」
返事を待ち構えていたように、快斗は蘭の濡れた頬を両手で包んで誓いのキスをした。手の平がいつもより少し冷たいのは、緊張しているからだろうか。

快斗はポケットから二つ指輪を取り出した。一つは蘭の左手の薬指に嵌め、もう一つは蘭に渡して快斗の指に嵌めさせた。
親族も友人もいない、聖人像だけが見ている二人だけの指輪の交換式だった。
指輪は半日の内に用意したとは思えないほど、快斗と蘭の指にぴったりと嵌っている。ペアリングはシンプルながも銀色に鈍く光っていた。

蘭は左手を上にかざして指輪を凝視した。
「何だか夢みたい…。指輪、消えたりしないよね?」
「消えるって?」
「だって快斗くん、マジシャンだもん。魔法で……指輪を消したりしないでね」
「消えないよ。蘭ちゃんが俺を永遠に思ってくれてる限りはね」
快斗は蘭を安心させるように緩やかに抱きしめた。




夜も更け、静かな時間が流れる。
快斗と蘭は長椅子に座り幸せを噛み締めていた。
「朝になったら区役所に行こうか」
「うん!」
「眠い?今から帰っても寝れる時間あるけど」
「そうだね、少し眠いかも」
言われて気付いたが、眠気が徐々にやってきたようだ。蘭は小さく欠伸をした。
「じゃあもったいないけどドレスも着替えないとな。ほんっとうにもったいないけど」
「ビックリしたけど、嬉しかったよ。ありがとね快斗くん。ウェディングドレスが着れるなんて思わなかった」
憧れのウェディングドレスが着れて満足気の蘭とは違って、快斗は未練たらたらのようだった。名残惜しげに快斗は指をパチンと鳴らすと、魔法は解け二人は元の服に戻った。

と、どこからともなく銀色の小さい丸いものがコロコロと床を転がっていった。
(指輪…?)
蘭がすぐに後を追って長椅子の下に転がりこんだ場所に手を伸ばした。何を落としたか気付いた快斗はやばいと思ったが、どうすることも出来なくて事の成り行きを見守るしかなかった。
「これって…」
それは、快斗がゲームに使ったコインだった。問題なのはコインがマジック用で表裏がなく、両側とも表だったこと。つまり、快斗はゲームに勝つために蘭を騙したのだ。快斗は冷や汗が出ているのを自覚した。

「快斗くん〜〜〜?」
振り向いた先の蘭の顔は笑顔が浮かんでいるが、それは表面上だけだということは快斗は嫌というほど分かっている。穏やかな時間は一転、不穏な空気が流れ始めた。
「やっ!こ、これは…!」
焦る快斗を尻目に、蘭は笑顔を崩さないままだ。迂闊な自分を呪う一方で、蘭に嘘をつかないことを宣言した以上、上手い言い訳が思いつかない。

「快斗くん」
「…は、はいっ!」
怒られているわけではないのに、怒られていることはわかる。
快斗は思わず背を真っ直ぐにして姿勢をピンと正した。
「今日は許してあげる。だって、今日は人生で一番幸せな日だったもの」
「蘭ちゃん…」
「さ、おうちに帰ろう!」
蘭は今度は心からの笑顔を零した。快斗の腕を引っ張って扉へ向かおうとする。お化けを怖がっていたことはもう忘れてしまっているような軽快な足取りだ。

ホッとすると同時に、頭の中にある考えが浮かぶ。
(この調子じゃあ、結婚しても蘭ちゃんの尻にしかれるかもな)
一瞬のあと、それもいいかもしれないと思った。

鍵を元通りに閉めて教会を後にする。
たった僅かな花嫁と花婿だったけれど、たった二人だけの式だったけれど、快斗も蘭も今までとはどこか違う幸せを実感していた。
夏の気配を見せ始めた、ねっとりとした空気が快斗と蘭の周りに纏わりついてくる。それでも二人の手はしっかりと繋ぎあったまま帰路につく。
月明かりで出来た二つの影が並んで小さく揺れ動きながら、いつまでも二人の後を付いていった。











快斗の思いつき結婚式で準備不足もいいとこで申し訳なく(土下座土下座)。
小五郎と英理と快斗のお母さんを出そうか迷ったんですが、結局やめてしまいました。快斗と蘭ちゃんはひっそりとした式が似合かなと思いまして。もっと逃避行っぽい感じにしたかったのに玉砕…!
結婚後は快斗のお望みどおり蘭ちゃんの尻にしかれてしまうといいよ(笑)
[2009.6.30]


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