Three Gifts




―灰原からのプレゼント―

3月14日 午後1時

「ふぅ〜お腹一杯じゃ。もう入らんわい」
阿笠博士は大きく張り出たお腹を満足そうに擦った。
「本当、それにとても美味しいしね。博士には食べる量を控えて欲しかったんだけど、そんなこと言えない位私も食べちゃったし。ありがとう蘭さん」
哀が続いて賛辞を述べた。

テーブルの上には空皿ばかり並んでいるが、一時間前には昼にしては豪華な昼食が並んでいた。お刺身、キンピラ、五目御飯、澄まし汁、焼き魚、ほうれん草のお浸し、カボチャの煮物、海老の天ぷら、それにおまけの手作り柚子シャーベットと、全て和食を得意とする蘭が作ったものだった。
「お礼なんていいよ〜。こうやって博士と哀ちゃんとご飯食べるのって初めてじゃない?だからちょっと張り切っちゃった。味合うかどうか心配しちゃったけど、気に入ってくれて良かった」
「博士の健康を考えて軽く和食をお願いしたら、まさかこんな本格的なものが出てくるとは思わなかったわ。こんな美味しい食事を食べられないなんて、工藤くんはついてなかったわね」
ふっと哀が笑った。湯気の立った湯飲みを持ち、お茶を啜う。
「蘭くんの料理なんて何年ぶりじゃろうなあ。毎日こんなご飯が出てくるなんて新一は幸せもんじゃよ」
「あっ、違うの!いつもはこんなに張り切って作ってないからっ。哀ちゃんに誘われたのが嬉しくって、つい作りすぎちゃっただけで」
蘭は恥ずかしそうに手を左右に振った。



ホワイトデーの当日、蘭は昼前に工藤邸にやってきた。
今日は新一と映画に行く予定で、その後はショッピングでもしようかなと考えていたのだが、蘭が工藤邸に来ると同時に新一は事件の呼び出しをくらい現場に行ってしまったのだ。
ちょうど玄関前に迎えに来たパトカーが止まるのが見えると、新一は慌しく走って去ってしまった。
「じゃあ、急ぐからよ!家は好き勝手使ってやっていいから」
嵐のように過ぎ去った新一に、蘭は持ったまま「……あ、うん…」とワンテンポ遅れた返事をしてしまった。

立ちすくんだままの蘭に気付いた哀が偶然にも隣の家から出てきたところ、「あら、蘭さん?どうしたの?」と声を掛けた。事情を聞いた哀が蘭を誘い、阿笠邸で一緒に昼ご飯でもどうかと提案したのだ。
思わぬ嬉しい誘いに蘭は二つ返事で同意し、どうせならと自ら二人にご馳走することに決めたのだった。


「ご飯のお礼と言っちゃなんだけど、蘭さんに渡したいものがあるの。今から持って来るから、ちょっと待っててくれる?」
「?うん、分かった」
哀は蘭の返事を聞くと、地下室に下りていった。
「博士、なんだろう哀ちゃんの渡したいものって」
「はて?ワシは何も聞いとらんがのぉ…」
博士は自身の白い髭を触りながら地下へ続く階段を見つめた。

哀ちゃんの渡したい物かぁ……。
新一の体に関するデータとか?でもそれなら本人に直接渡せれるしなぁ。
何だろう???

蘭が考えていると、哀が階段を上がってきた。
少し恥ずかしそうに頬を染めて、綺麗にラッピングされた細長い箱を蘭に差し出す。
「これ………」
「これを新一に渡せばいいのね?」
蘭が手を伸ばしてそれを受け取ろうとすると、哀が珍しく慌てた様子で訂正した。
「まさか!これはあなたへのプレゼントよ」
「わ、わたしに!?」
「ええ。街を歩いてたら、あなたに似合いそうだなって。先月チョコレートを貰ったからお返ししたかったしね。……ちなみに、私もお揃いで同じやつ買ってしまったけど」
哀は手を襟に入れ取り出した。

蘭の目の前に現れたのはネックレスだった。細い鎖の先には、小さなダイヤモンドが埋め込まれたそれぞれ形の違うデザインが二つ、輝いている。
蘭は驚いていたが、すぐに笑顔になって箱からネックレスを取り出した。
「ありがとう、哀ちゃん…嬉しい。でも……どうして私にこれを?」

素直な疑問だった。
聞かれることを予測していたのか、哀は冷静な淡い笑みを浮かべた。
「前に言ったでしょう?蘭さんは私のお姉ちゃんみたいって。……本当のお姉ちゃんともこうやってお揃いのネックレスをしてたから」
哀のネックレスを良く見ると、付いているモチーフは哀のが二つで蘭のは一つだった。少し小さめのダイヤモンドの方が、哀の姉の明美との思い出の繋がりなのだろう。

新一が元の姿に戻ったとき、コナンであったという真実と共に、哀の正体も蘭に明かされた。その時、哀は新一と蘭の前で謝罪を何度も繰り返した。
いつまでも頭を上げようとしない哀に、蘭は哀の元へ駆け寄り抱きしめた。
「もう…もういいんだよ?哀ちゃん。哀ちゃんのせいじゃないの。全部終わったの。……だから、もう泣かないで?」
固く抱きしめられた腕の温かさに、哀の頬に涙が零れ落ちた。
「あなたって…本当にお姉ちゃんみたいだわ……」


蘭も一度だけ会った、可愛らしい笑顔の明美を思い出す。姉と思ってくれてるなんて、姉妹の欲しかった蘭にとっても、とても嬉しい。
「…これ、高かったんじゃないの?」
「バカね……そういう時は黙って受け取っておくものよ」
二人でクスッと笑いあった。
その温かな光景を見て、博士も笑顔になる。
今日はいいホワイトデーになりそうだ。



***


―快斗からのプレゼント―

午後3時

阿笠邸から帰ってきた蘭は、工藤邸で来客を待っていた。

博士と哀と寛いでいる時に携帯に快斗から電話が掛かってきた。新一が事件に出かけているということを伝えると、電話の向こうから「ラッキ〜!」と快斗の浮かれているような声が聞こえた。
「じゃあさ、蘭ちゃん。今からそっち行くから!」
「今阿笠博士の家で博士と哀ちゃんと一緒にいるの。だから快斗君もここに来ない?」
蘭が大勢の方が楽しいし!と言うと、快斗の声の様子が変わった。
「……や、出来れば久しぶりに蘭ちゃんとお喋りしたいな〜、なんて。…手土産もあるし」

ちょっと焦ったような快斗の声に、蘭は不思議に思いながらも承諾した。
「分かった。新一の家に戻って待ってるね」
「ありがと〜蘭ちゃん。博士と灰原サンには悪いんだけどさ」
「大丈夫、ちゃんと言っておくから」
蘭は快斗との電話を切ると、ソファに座っている博士と哀に手を合わせた。
「ごめんね、すぐお暇しなくちゃいけなくなって…」
「分かってるわ。黒羽君と、ついでに工藤君に宜しくね。今日は楽しかったわ、またいつでも遊びにいらっしゃい。今度はご馳走させてもらうわよ」
「こっちこそ楽しかったよ!ありがとう。プレゼントも、ね?」
蘭は先ほど首に付けたネックレスを持ち上げた。

工藤邸と隣だが門まで蘭を見送ると、哀は博士と一緒に家へ入った。
「工藤君のいない隙に、タイミングいいわね…」と思ったが、言葉に乗せることはなかった。




蘭が工藤邸に帰ってから30分程した後、快斗がやってきた。
「よっ、蘭ちゃん!元気してた?」
ああ、この笑顔だ。
明るい声と明るい笑みに、蘭はいつも元気をもらっていた。
「元気だよ。快斗君も元気そう!上がって上がって〜。今お茶用意してるところなの」
「じゃあ丁度いいな。はい、これどうぞ。一応バレンタインデーのお返しなんだけど」
快斗は手にぶら下げていた紙袋を蘭に手渡した。

先月のバレンタインデーでは甘いものがあまり好きではない新一にビタートリュフを、快斗にはチョコレートケーキを、小五郎には洋酒入りチョコレートを、哀や少年探偵団には仮面ヤイバーのミルクチョコレートを作ってそれぞれに渡した。
快斗は蘭の目の前でホール丸ごと一気にケーキを平らげたのにはビックリしたが、嬉しそうに食べる姿は蘭をとても嬉しくさせた。

「そんな気を使わなくても良かったのに。でも、ありがとう。これってもしかしてクッキー?それとも、キャンディー?」
「ブブー!実はマカロンでさ、滅茶苦茶美味しそうだったから思わず買っちゃて。一緒にお茶しようよ」
自分も食べることを前提としているらしい。
快斗らしさに蘭はクスッと微笑んだ。

「あれ、蘭ちゃんそのネックレス新しいね?新一にでも貰ったの?」
さすが怪盗というべきか、さすが蘭に惚れてるというべきか、快斗は蘭の小さな変化にいつも気が付く。
「ううん、さっき哀ちゃんに貰ったの。可愛いでしょ〜えへへ」
何とも嬉しそうな蘭を見るのは楽しいが、送り主があの科学者だと思うと蘭に返す笑顔が引きつく。
新一の嫉妬による報復が恐ろしくて、ネックレスをプレゼントするという高みの技を使えない快斗に対し、サラリとやってのけるその手腕はさすがというべきか。
自分の持ってきたマカロンでは到底叶わないではないか。
快斗は内心ガックリと項垂れた。

快斗と蘭はリビングに移動すると、蘭がキッチンからお湯の入ったティーポットとカップ2つを持ってきた。
紅茶を蒸らしている間、マカロンをお菓子皿に広げる。
色鮮やかなマカロンが次々と飛び出してきた。ピンク色や黄色は春っぽさが溢れていて爽やかだし、キャラメル色やチョコレート色は中にハート型があったりして、非常にバリエーションに飛んでいた。
「美味しそう〜!これどこで買ったの?」
「杯戸駅前のデパ地下のケーキ屋だよ。今日の朝行ったんだけど当日限りの限定100個でさ〜、すごい込んでたぜ」
いつもデパ地下に行くとケーキセクションに立ち止まるのだが、さすがに今日は人混みでそんな余裕はなく、一目見て気に入った金色の限定箱を蘭へのお返しにしたのだ。

蘭が丁寧に紅茶をカップに注ぐと、ティータイムが始まった。
快斗はハート型のチョコレート味を、蘭はピンク色のクランベリー味を手に取った。
「新一、今日はいつ帰ってくんの?」
「どうかなあ…それ聞く暇もなかったくらい急いでたみたいだし。電話も掛かってきてないから、きっと事件に夢中になってるんじゃないかな?…あ、これ美味しい!」
「ホント、これイケるな!甘さ控えめだけど、何か上品っつーか」
すでに一つ食べ終えた蘭は、次を選ぶべく視線はマカロンに釘付けだ。

「蘭ちゃんも毎回大変だね、新一に振り回されちゃって。今日も予定入ってたんだろ?」
「もう諦めてるよ。新一から事件取ったら死んじゃうもの」
蘭は何でもないという風に軽く笑いながら次のマカロンを手に取った。

それは違う。蘭がいるから事件に集中出来るんであって、蘭がいなかったら生きていけないと言う方が正しいだろう。
……まあ、そんなこと絶対に言わないけど。
カチャリと小さな音を立てて快斗はカップを手に取り、静かに紅茶を啜った。

「ありゃもう病気だね〜!あんだけ事件に行って学校も休んでんのに許されてるし、成績もいいんだろ?嫌味な男だね〜」
「そうなの!新一ってば私のノート一度見るだけで全部覚えちゃうみたいなの。歌のキーは覚えれないくせに!」
「あのソツのない男が音痴ってとこがイイよな!」
新一がいないことを良いことに、好き勝手言い合って笑い合う。
マカロンを肴に、新一への愛のある悪口が続いた。

「おめーら、楽しそうだな」
リビングの空気が、一瞬にして固まった。



***


―新一からのプレゼント―

午後5時

「……新一、今日は早かった…ね…」
「よ、よう名探偵!事件は終わったのか?」
恐らく今までの会話をいくらか聞いていたのだろう、顔は笑ってるけど新一の声のトーンが違うことに快斗と蘭は顔を引きつらせながら愛想笑いをした。
「おう…。ところで快斗、何でオメーがここにいる?」
笑顔の裏に般若の顔が見える。

快斗は新一への罵倒よりも、今の蘭といるこの状況が新一を怒らせていることにようやく気付いた。
「あ、いや…丁度帰るとこでさ!はは。じゃあな蘭ちゃん、お茶楽しかったよ」
「え?もう?ご飯作るから食べていきなよ」
それは非常に惹かれる申し出だが、肯定の返事をしたが最後新一に抹殺されるであろう。折角繋がった蘭との関係を新一にすっぱりと断ち切られない為にもここは引き下がったほうがいい。
「いやいやいや!家でお袋が飯作って待ってっから、今日は帰るよ!」
両手を振って蘭の誘いを断ると、快斗は逃げ去るように工藤邸を後にした。



怒涛の様に快斗が過ぎ去った後、リビングには静寂が残った。
「…快斗君も、一緒にご飯食べていけば良かったのにね!」
気まずい雰囲気の中、あまりの静けさに耐えられなくなった蘭が努めて明るい声で場を繋ごうとした。
「―――で?」
「……あっあの、…やっぱり聞いてた…よね…?」
蘭は罰の悪そうな顔をしておずおずと新一を見た。悪口を言ったことで怒られるとでも思っているのだろう。
「俺はそんなことで怒ってんじゃねーんだけど」
「え???」
やっぱり根本的なところを蘭は分かってない。
「快斗が来るときは俺に一言言えって何回も言ったろ?」
「だって、新一事件で忙しいから電話なんかしたら邪魔でしょう?」
「電話に出れる時間くれーならあるし、邪魔なんて思ってもみねーよ。だいたいオメーが!…って、今日はこんなことでケンカしてるなんて勿体ねー」
新一はそう言うと、大きい足音を立てて二階に上がっていった。
バタンとドアの開閉の音が聞こえると思ったら再び乱雑な足音がリビングの外から響き渡った。

「これやるよ。今日はホワイトデーだろ?」
先ほどとは違った心から嬉しそうな笑顔で、何枚も薄い紙が重ねられ綺麗にラッピングされた物を蘭に手渡した。
「…新一、今日がホワイトデーだってこと知ってたの?」
蘭が目を丸くして意外そうに新一を見る。
「何日も前から現場で会う佐藤刑事や園子に『何を渡すの?』だのあーだこーだ言われれりゃな。つか、早く受け取れよ」
「……ありがとう」
ソファに座るように蘭を促す。
新一の妙に爽やかな笑顔が怖い。こんな顔をする時は、蘭に何かをする時と相場が決まっている。それも、蘭にとって都合の悪いことである。
蘭は恐る恐る薄いベールを剥がしていった。

現れたのは、シルクの黒い下着セット。
光沢がしていて、蘭が付けるいつもの下着よりも大人っぽい雰囲気のものだった。シンプルだが、素材が良くて高級そうなのは一目見て分かる。
「オメーあんまこういうタイプ付けねぇだろ?偶にはいいんじゃねえかと思ってよ」
新一は満面の笑みで蘭の顔に近づいた。
「ちょ、新一…」
「ソレ、今夜付けてくれんだろ?」
「ま…待って……んぅ!」
蘭の静止を他所に、新一は蘭に口付けた。荒々しいキスに蘭が呼吸しようと口を開けると、待ち構えたように新一は舌を出し蘭のそれと絡ませる。

長いキスが終わると、苦しいせいか蘭の瞳に涙が浮かんでいた。新一は蘭の首筋に顔を埋めようとすると、蘭の首にネックレスの細い鎖が付いているのに気が付いた。
「んだこれ…こんなん持ってたっけ?」
「これはね、今日哀ちゃんがくれたの!いいでしょう?お揃いなんだよ〜」
嬉しそうに蘭は語るが、新一にとっては伏兵に一撃を食らったかのような衝撃だ。

灰原のヤツ、何だよネックレスって!聞いてねぇぞ!しかもお揃いかよっ!?
前々から蘭を気にしていた様子はあったが、まさかこんなプレゼントを蘭にするとは。快斗と違い、強く言っても逆に撥ね返りに合いそうだ。

厄介な新ライバルが出現したせいか、新一は腹の底から何かが込み上げてくるのを感じた。新一が事件でいない間に、哀と快斗は蘭にプレゼントをあげて一緒の時間を過ごしたのだ。
新一が知らない蘭の時間を。

ネックレスを横に除け、蘭は自分のモノだというように首筋に噛み付く。
「しんいち…早いよ…ご飯食べようよ……」
「オメー、さっき快斗と一緒になって俺の悪口言ってたよなぁ?」
「アレは…………」
ニッコリと笑顔で「ん?」と言われると、蘭は何も言い返すことが出来なかった。

今日は新一に逆らえないだろう。蘭は早々に諦めざるをえなかった。
膝に置かれたままの新一からのプレゼントをキュッと抓り、ささやかな反抗心を押し込めた視線を新一に向ける。
言葉で表さずとも肯定の返事だと判断した新一はプレゼントを一先ず袋ごと床に置き、ゆっくりと蘭をソファに押し倒した。


そうして、毛利蘭のホワイトデーは更けていったのだった。











ホワイトデーお返しの定番三点を蘭ちゃんにプレゼント。
新蘭快どたばたほのぼの(ほのぼの…?)も好きなんです。ここに灰原参戦の蘭ちゃん争奪戦も好きなんです。
[2009.3.14]

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