A Bittersweet Drink




「新ちゃん、そろそろお風呂洗いお願いできる〜?」
有希子はリビングで推理小説を読んでいた息子に声を掛けた。すると新一は「はーい」と返事をして小説を机に置き、そそくさとお風呂場へ向かう。有希子は嬉しげに夕食の準備に戻った。
「どうやら新一の手伝いは続いているようだね」
ダイニングテーブルに座っている優作が新一の様子を眺めて、にっこりと笑った。

先ほど二階の書斎から降りてきた優作は、キッチンで有希子の入れるコーヒーを待っていた。部屋中にコーヒーの香ばしい匂いが立ち込めてきたから、あと数分で美味しいコーヒーにありつけるだろう。
「そうなのよ〜。前にお手伝い頼んでも、『面倒くせーなー』とか『しゃあねーなー』とか一言文句言いながらやってたくせに、それが今回はあんなに素直なんですもの。いったい何を買うつもりなのかしら?ちょっと楽しみよね!」
「そうだな…まあ近いうちに何かしら分かるだろう」
有希子は戸棚からコーヒーカップとソーサーを出し、熱々の湯気が立つコーヒーをカップに注いだ。それを受け取ると、優作は優雅な動作でコーヒーを口につけた。

有希子の提案で、お風呂の掃除をしたり、夕飯の手伝いをしたり、お皿の洗い物をしたりと、家事の手伝いをしたら一回につき10円をアルバイト代として新一にお小遣いをあげると告げたのは三日前のこと。

お小遣いを餌に強制的に自分の手伝いをさせようという有希子の企みだというのは幼いながらに内心分かっていたけど、有希子に逆らうことは得策ではないことも分かっていたので、新一は渋々家事の手伝いをすることに決めたのだ。

「溜めたお小遣いで、新ちゃんの好きな物買っていいのよ〜。推理小説なんていいんじゃない?」
「……推理小説なら、この家にいっぱいあるんだけど。それに、毎回10円じゃいつになっても小説なんて買えねぇよ」
新一は半目で有希子を見た。ソファにうつ伏せになっている小さな体のその手には推理小説があった。

工藤家には一般の家庭とは桁外れの書物がある。優作の仕事柄ありとあらゆる分野の本が資料室なるものに整然と陳列されているのだが、特に世界中の推理小説の数は随一で、滅多にお目にかかれない初版本や英語やドイツ語やフランス語などの原書も多い。それだけで古書店が開けるほどだ。

まだ新一は5才だが、数ある探偵の中でもシャーロック・ホームズが好きで、日本語訳された小説を何回も読み返していた。それに飽き足らず、最近では原書をそのまま読むことに凝っているらしく、古典英語と日本語訳を見比べて読書しているのだ。近いうちに原書を暗記してしまいそうな勢いだ。

そんな新一が今欲しがる推理小説といえば、出来るだけ初版に近いホームズシリーズ小説か、ハードカバーで包まれた分厚い推理小説になるのだろう。新一の言うとおり、何万単位になることは間違いない。
「それもそうね…。新ちゃん、他に買いたいものはないの?ゲームとかおもちゃとか」
「別にいらねぇ」
「も〜、そんなこと言わないの!ほら、仮面ヤイバー前はすごく好きだったじゃない。最新のプラモデルとか欲しくない?」
「あれは蘭が好きだから一緒に見てただけで、特に好きなわけじゃないよ」

母親としては、自分で稼いだお金で自分の欲しいものを買うことで何かを学んで欲しいという教育の一環的なものだったのだが、新一はどうやら普通の子供が欲しがるものには興味がないらしい。
10円の手伝い金じゃさすがに安かったかと思い、せめて千円単位のハードカバーが買えるように100円に上げようかと思っていたとき。
「……あっ!」
「なになに?何か思いついた?」
有希子は嬉しそうに新一の顔を覗いた。すると新一は何かを思い出したかのように、不適に笑みを浮かべていた。
「母さん、オレ今日から手伝いすっから。まずは風呂掃除と夕ご飯の手伝いでいいよな?」
「え?…ええ」

何を思いついたのかは分からないが、新一はソファから降りると調子っぱずれの鼻歌を歌いながら機嫌良さそうに二階に上がっていった。



***



手伝いを始めて四日目の午後。やってきたのは、自動販売機の前。
いつものように新一と蘭は学校帰りに近所を探検して遊んだ。そろそろ帰る時間になって蘭の家に向かう途中、帰り道で以前から目をつけていた自動販売機の前を通ったとき新一は蘭を呼び止めた。
「蘭、喉乾かねー?ジュース買おうぜ」
「え?うん、いいけど…」
「蘭、この中から好きなの選べよ」
さまざまな種類のある自動販売機は、走り回った二人にとってはオアシスのように見えた。

新一は手をポケットに忍ばせて、自分で貯めた120円の重さを確かめる。この日の為に、進んでお風呂掃除と夕ご飯の手伝いとお皿洗いをやってきたのだ。
チャリンチャリンとズボンの裏ポケットの中で鳴っているお金の音が新一の心を躍らせた。
「でも、わたし今日お金持ってないよ?」
「大丈夫だって!オレが持ってるから。…っていっても、一本分しか買えねぇけど」
「じゃあわたし、いいよ。新一買いなよ」
蘭を早く喜ばせてあげたくてお金を貯めたのに、自分の為に買うなんて本末転倒だ。蘭が好きなものを頼まないと、意味がないんだ。

新一はこういう状況であれば蘭が遠慮をすることは分かっていた筈なのに、早くお金を貯めたい焦りとジュースが買えるお金が集まったことですっかり忘れたていた。だが小さな頭脳はすぐに名案を思いついた。
「一本だけ買おうぜ。それで半分ずつ飲めばいいだろ?」
新一はにかっと笑って10円を手にとってそれを高く空に投げると、パシッと手で掴んだ。蘭もわぁ、と笑顔になって喜んだ。

「ほら、蘭が前飲みたいって言ってたの、これだろ?」
指差した先には、『リポビタンE』と書かれた他の缶ジュースよりも小さめの瓶があった。

以前蘭が「お父さんが事務所で偶に飲んでるんだけどね、それ飲んだ後はすごいすっきりしたぞーって顔になって、お仕事頑張ってるの。でもわたしが飲みたいっていうと、『蘭にはまだ早い』ってくれないんだ。きっと大人だけが飲めて、元気になれるジュースなんだよ!わたしも早く大人になりたいな〜」と言っていたのだ。

「新一、わたし達まだ子供だよ…?大人にならないと飲んじゃいけないんだよ?」
「大丈夫だって。別にアルコール含んでるわけじゃないし。それにこれ飲むと元気になれるんだろ?今日はいっぱい走ってオメーも疲れてるだろうし、喉も渇いてるし。それに蘭のおじさんの言ってたことっていうのは、大人になってから飲めるんじゃなくて、飲めたから大人になれるっていう意味だと思うけどな」
「………」
蘭は大きな黒目をパチパチさせて新一の話を聞き入っていた。

よし、ここまで来たらもう一押し……。
「このことは誰にも喋らねぇよ。蘭のおじさんにも、おばさんにも。それに、オレの父さんと母さんにもな。蘭とオレの秘密にしておくからさ……」
“大人になれる”とか、“秘密”とかのキーワードは子供にとっては心に響く。
禁断の道に足を踏み入れた気がして、蘭は少しドキドキした。
「の…飲んでみたい」
「そうこなくっちゃな!」

新一はさっそくお金を自動販売機の投入口へ次々と入れていった。入れ終えた後、少し背伸びをして選択ボタンを押す。蘭は好奇心いっぱいな瞳をして新一の姿を見つめていた。

ガシャン。
『リポビタン E』が大きな音を立てて取り出し口に落ちてきた。
新一が瓶を手に取ると、ヒヤッとする冷たさが手に伝わって気持ち良かった。蓋を取るのは力がいったが、何とか取ることができた。
「ほら…飲めよ」
「わぁ…!」
蘭が嬉しそうに両手を合わせる。

これだ。
これが、オレの一番欲しいもの。
オレの欲しいものは……蘭の笑顔なんだ。

「ありがとう、新一。…でも先に飲まないの?」
「オレは後でいいよ。レディーファーストだからなっ」
「レディー、ファースト???」
「先に女の子がどうぞってことだよ」
「ふーん?何だかよく分かんないけど…飲んでいいなら、飲むね?」
そう言うと、蘭は腰に手をついて一気に飲んだ。きっと、蘭のおじさんが飲むときはいつもあの体勢なのだろう。このドリンクにはこういう飲み方じゃなきゃ駄目などと思っているに違いない。

蘭は瓶を口から離すと、突然顔が見えなくなるまで俯いた。
「蘭?どう味は?」
新一が聞くと、蘭は何だか様子が変だった。俯いていた髪の隙間から見える、何かに耐えるような表情。瞳に涙を溜めながら苦悶しているように見えた。
「蘭っ!おい、蘭っ!?大丈夫か!?」
「………っ!」
「蘭…、蘭…っ!!」
何かジュースに変なものが入っていたのだろうか?もしかして、アルコールが入っていたのだろうか。
何も言わない蘭が心配で、新一は蘭の手から瓶を奪い取り、その手を取って走り出した。向かう先は、自分の家。



***



「母さんっ!」
玄関に着くなり、新一は大声を上げた。その声に驚き、有希子がリビングから顔を出す。
「新ちゃんどうしたのよ、大声出して。…あら、蘭ちゃんも一緒?」
「それよりも蘭がおかしいんだっ!蘭がっ…!」
蘭は瞳に涙をいっぱいに溜めて、手で口を押さえていた。
「あらあら、蘭ちゃん。どうしちゃったの?どっか、痛い?」
有希子が蘭の傍に近づき、膝を付いて様子を伺う。
「…………」
先ほどの痛々しい表情は多少和らいでいたが、まだ口の利けない蘭は無言で首を横に振る。耐え切れなかった涙が零れて、両の頬を伝った。

新一は左手で蘭の右手を繋いだまま、右手にぶら下がったリポビタン Eを有希子に差し出した。
「……さっき、蘭がこれを飲んだらいきなり苦しそうな顔したんだ」
有希子は半分になった瓶と蘭を交互に見て、はぁ〜と溜め息をついた。
「蘭ちゃん。大丈夫よ、すぐ良くなるわ。…新ちゃん、コップにお水入れて持ってきて」
「分かった!」
新一はすぐさま走ってキッチンに向かった。蘭専用のいちごの柄の付いたコップに水を注いで戻って有希子に渡すと、蘭にコップを手渡し飲むよう促した。蘭は勢い良く水を飲み干した。ゴホッと咽ながらも、蘭の様子が良くなるのが分かった。

「…蘭ちゃん、落ち着いた?」
有希子が優しい声で蘭に問いかける。
「はい…。ごめんなさい、返事が出来なくて」
「いいのよ〜!もう大丈夫ね。いきなりあの味はキツかったのかもしれないわね」
「あの味って何だよ?やっぱりお酒が入ってたのか?」
心配そうに蘭を見る新一の様子に、有希子はふっと笑う。
「違うわよ。あの飲み物はお酒なんか入ってないわ。あれは栄養ドリンクでね、体が疲れた時とか、リフレッシュしたいときに飲むのよ。あなたたちが飲むにはまだ10年早かったわね」
「…………」
小五郎の言っていたことが正しかったのか。
そう思うと、新一はちょっと悔しかった。
「…そうなの?じゃあ、新一じゃなくてお父さんが言ってたのが当たってたんだ〜」

げっ…バカ…!

新一は蘭の言葉に焦った。
「あら蘭ちゃん、それってどういうことかしらあ〜〜〜?」
慌てた様子の新一に気付いてこめかみに筋を浮かべた有希子が、笑顔で蘭に問いかける。
「お父さんが言ってたの。蘭にはまだ早いって。でも新一が『大人になってから飲めるんじゃなくて、飲めたから大人になれるっていう意味だと思うけどな』って!」

ああ、バレてしまった。
オレが蘭にドリンクを飲むのをそそのかしたのが。

「新ちゃあ〜ん?」
「…んだよ」
睨み合う有希子と新一の不穏な雰囲気を察したのか、蘭が慌てて繋げる。
「で…でも新一を叱らないでね!わたしが飲みたいって言ったのっ!わたしのせいなのっ」
必死に訴える蘭を見て、有希子は蘭の頭に手を置いた。
「安心して蘭ちゃん、誰もあなた達を責めたりなんかしないわ。ちょっと背伸びしたかっただけよね?」
「…はい…ごめんなさい」
「新ちゃんも、これからは気をつけなさいよ。特に蘭ちゃんと行動するときにはね。探偵を目指してるのなら、何事にも注意深くならないとね!」
「……わーってるよ」
満足したように有希子は微笑んだ。

「じゃあ、二人とももうすぐお夕飯だからそれまで遊んでなさい。蘭ちゃん、今日はお父さんもお母さんも夜遅くなるみたいって、さっきお母さんからおばさんに連絡があったの。夕飯はこっちで食べていきましょうね」
「はーい。新一、早くお二階に行こうよっ」
蘭は先ほどのションボリした顔から一変して、笑顔が零れていた。クルクル変わる表情に新一の心臓がドキリと鳴る。蘭から手を差し出されて、新一は優しく握り返した。
「お、おう。……ごめんな、蘭。飲むの辛かっただろ…。オレが買ったもんだから遠慮して、苦くっても吐き出せなかったんだろ?」
「…ち、違うもんっ。ジュースはちょっと苦かったけど……大人の味がしたよ?」
柔らかく微笑む蘭に、新一は小さいながらこの笑顔を失いたくないと思った。

今回は、自分の知識の無さが招いた事故。
もっともっと勉強して知識を蓄えて。
もっともっと運動して体を鍛えて。
それで、蘭を自分の手で護るのだ。
それで、蘭の笑顔が続くなら。
自分で買った物で蘭を喜ばすのは、それからだ。

新一は密かに決意して、繋がれた蘭の手をぎゅっと強く握った。


仲良く手を繋いで階段を駆け上がる二人に、有希子はあることを思い出した。
「あ、新ちゃん。夕ご飯のお手伝いのことだけど、今日は特別にナシでいいわよ〜」
「悪ぃ、母さん。アルバイトはもうお仕舞いでいいやっ」
「えっ!?」
「一番欲しいものは、まだお金で買うには早いからさ!」
満面の笑みを湛えた新一と蘭は楽しそうに二階へ上がっていった。

「……どういうこと??」
残された有希子は、ただボーゼンと立ち尽くした。


「どうしたんだい有希子、玄関に立ったままで」
コーヒーのお代わりを求めているらしく、空のカップを片手に優作が書斎から出てきた。
「優作〜ちょっと聞いてよっ!新ちゃんがね〜…」
有希子から事の粗筋を聞きながら、優作と有希子はキッチンへ歩き出した。ドアを開けると、テーブルの端には新一が水を取りに来たときに置き忘れたであろうリポビタンEの瓶が目に入った。椅子に腰掛けて、瓶を手に取る。

リポビタンEと新一の数日間のアルバイト料120円と新一の謎の言葉。
そして、蘭の存在とお金で買えないもの。
それらを繋ぐ、結論は―――。

ふっと、優作から笑みが零れた。それに気付いた有希子がコーヒーメーカーに水を注ぎながら優作に問う。
「あら優作、謎が解けたみたいね?」
わたしにも教えてよ、という期待に満ちた目をして優作に訴えた。
「至ってシンプルな問題さ。最近新一が手伝いを張り切っていたのは、蘭くんの為だったのさ」
「蘭ちゃんの?」
「ああ。120円貯まった時点で蘭くんにジュースを買おうとしてたんだろう。まあ、自分で稼いだお金で好きな女の子を喜ばせたいっていう、男の性だろうね。」
「新ちゃん、なかなかやるわね〜教育の賜物かしら?」
有希子は手を口に当てて嬉しそうにはしゃいだ。
「だがまだまだ修行が足らなかったな。蘭くんがこの飲み物を飲んでみたいとは知っていても、その内容までには頭が回らなかった。結果、蘭くんを泣かせる羽目になってしまったんだからね」
「………見込みはありそう?」

コポコポと、濃い色の液体がゆっくりとポットに落ち始めてきた。
「…そうだな。新一の最後の言葉から推測すると、私達の期待を裏切らない大人に成長してくれるだろうと思ってるよ」
その言葉に、有希子はニコリと微笑んで夕食の支度の続きを始めた。傍らから、コーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。



***



「ただいまー」
新一が玄関のドアを開けると、いつも迎えてくれる笑顔がなかった。
大学の授業と野暮用で遅くなったとはいえ、まだ夜8時を回ったばかり。いくらなんでも寝てはしないだろうと不審に思いながらも、新一は明かりの点いているキッチンへと足を伸ばした。

あれから14年が過ぎて、新一は19才になっていた。東都大学に通う傍ら、高校生の時から始めた探偵業を続けている。大学に入ってからは、依頼料としてお金を受け取るようになったが。
「蘭?いるのか?」
同じく蘭も東都大の学生だ。高校時代の時から変わらず空手も続けている。大学に入ってから、変わったことといえば……蘭が工藤家に住むようになったこと。

新一がキッチンのテーブルを見ると、蓋の開いてないリポビタンEの瓶が一つ置いてあった。
「………これは…」
新一はそれを手に取ると、複雑そうな苦い顔をした。

この飲み物には、幼い頃の未熟だった感情が溢れてくるのだ。
蘭を喜ばせたくて手伝いをした純粋さ。蘭をそそのかして調子に乗ったこと。蘭を泣かせてしまった焦り。自分の不甲斐無さに落ち込んだこと。蘭を護る決意。
あの頃の記憶が鮮明に蘇る。
そうだ。あの時から自分は蘭の笑顔を護ろうと思った。

…今のところ、合格点を貰えているだろうか。
高校2年の時に新一は姿を消し一時期蘭の笑顔を曇らせたものの、新一は心身共に自身を磨き鍛え、蘭の笑顔と一緒に成長してきた。
黒の組織のことで蘭には辛い思いをさせてしまったが、蘭を護れたこと…新一にとって一番大切な蘭の笑顔を取り戻したことを含めると、優作に言わせれば『及第点』かもしれないが。

あのリポビタンE事件の後日、新一はどんな味だったのか気になって飲んでみたことがある。案の定、子供には苦すぎて、美味しいとはとても言えなかった。
以降、年を重ねて警視庁にいる時に飲む機会がいくらかあったが、蘭の前では飲んだことは一度も無かった。蘭自身も飲んでいる所を見たことがないので、あれが切っ掛けで嫌いになったのかもしれない。

今日これがテーブルに置いてあるのは、運命かもしれない。
新一は蓋をキュッと取ると、一気に飲み干した。
「あ〜〜〜〜〜〜っ!!」
驚いて、新一はゲホッと喉を詰まらせた。
そこには、お風呂上りらしい蘭が新一に指を立てていた。

「ら、…らっ…ん…」
「それ、私が飲もうと思ってさっきコンビニで買って来たのに〜!」
「んだよ…いいじゃねーか。って、何でこんなん買ってきたんだよ?オメー嫌いじゃなかったっけ?」
「え?そんなことないよ?買ったのは久しぶりだけどね。明日提出のレポートがあるから、これ飲んで今日は徹夜して頑張ろうと思ってたのに〜」
蘭は空になった瓶を取ると、非難めいた視線を新一に向けた。
「やめとけって。オメーが徹夜なんて出来るわけねーだろ。諦めて寝ろって」
「何よー、新一は私がレポート出来なくて単位が貰えなくてもいいと思ってるの!?」
「……その明日の夜は、アルセーヌで食事ってこと忘れてねーだろうな?」
「忘れるわけないじゃない、私の誕生日だもん。午後7時にお店の前で待ち合わせでいいのよね?レポート出したその足でそのまま向かうから」
「…分かってんならいいけどよ」

明日は蘭の誕生日。平日だが、夜はアルセーヌで夕食の予約を取ってある。
そして、新一にとって人生最大の瞬間が待っているのだ。

大学に入ってこつこつと貯めてきたお金で買った婚約指輪。
蘭に贈る、新一の運命を決定付ける大切な物。

蘭は喜んでくれるだろうか。蘭は笑顔を見せてくれるだろうか。

そんな蘭の姿を想像しながら宝石店から帰ってきたというのに、この女は明日締め切りのレポートの方が頭を占めていそうだ。鞄に入っている四角い箱は涙を流しているに違いない。
蘭に内緒に行動しているとはいえ、新一はがっくりと肩を落とした。

「……蘭、一つ、言いたいことがあるんだけど」
リポビタンEはすでに諦めたらしく、髪を乾かそうとキッチンから出て行こうとする蘭を引きとめる。
「何…?」
新一の真剣な瞳に、蘭も頭に乗せたバスタオルで髪を拭くのを止めた。
「愛してるよ」
淡い笑みを口に浮かべて、蘭に告げる。
「…………な、なな何言ってるの、急に!?」
「いや?今思ったことを口に出しただけだぜ?」
想像した通りあたふたしている蘭に、クックックと笑みを零す。これくらいイジワルしても許されるであろう。
「もうっ、からかわないで!先に上に行くからねっ」
「ああ。俺も直ぐ行く」
「……新一…………私も、好き…」
蘭の背中越しに小さく呟かれたその言葉を認識したと同時に、ドアがパタリと静かに閉められた。

思わず新一は口を手で覆って椅子に腰を下ろしてしまった。
蘭に何度惚れ直せば気が済むのだろう。
リポビタンE事件の時もそうだったが、いつも蘭を喜ばせたり驚かせようとすると、彼女は予想外な行動を取り逆に自分をドギマギさせるのだ。
「チキショー、やられた……」
栄養ドリンク剤を飲んだことなど関係なく、今夜はもう眠れそうになかった。











従姉から聞いた、彼女の子供の兄妹ネタをご拝借。お兄ちゃんがお小遣いを貯めて、妹に缶ジュースを買ってあげたらしい(ホロリ…)リポビタンEは架空の飲み物ですDじゃないのです(笑)
大人版はしてやったつもりがやられた、という話。お互いに陰でドギマギしてればよい!
[2009.2.25]

inserted by FC2 system